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   <title><![CDATA[時代MAP&reg;　ブログ]]></title>
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   <updated>2010-01-22T09:56:39Z</updated>
   <subtitle>タイムトリップマップは、現代地図と歴史地図を重ねて見ることのできる新発想の地図です。</subtitle>
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   <title>復元途中を見ちゃいました・・・。(o&apos;д&apos;o)!!</title>
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   <published>2010-01-15T01:50:28Z</published>
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   <summary>こんにちは時代MAP編集部の山脇です。 2010年、せんとくんの一年がやってきま...</summary>
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      <![CDATA[こんにちは時代MAP編集部の山脇です。
2010年、せんとくんの一年がやってきましたね　＼(o⌒∇⌒o)/

下記の写真は、そんなアツくなる奈良のとあるところで撮影した写真なんですが、（2009年12月下旬頃）一体なんだか分かりますか?

<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/010115-1.jpg"> 
↑この骨組みの正体は・・・

正解は、本祭に合わせ、急ピッチで進められている<strong>遣唐使船復元船</strong>の建設途中の写真なんです。
すごくないですか?

復元船は全長約３０m、最大幅約9.8m、帆を含めた高さ約２０ｍ。なんと、甲板で乗船体験できるそう。

ほか、アニメーションなどを駆使して、遣唐使の歴史や渡航の様子をドラマチックに再現した遣唐使シアターなどもあるそうな。

いよいよ組み立てが始まったのですが、それまでは、なんと静岡県で造られていて、奈良に持ってこられたそうですよ∑(o'д'o)!!。

公開は、1300年祭開催中の<strong>4月24日～11月14日</strong>。
平城宮跡南側に建設中の平城京歴史館（仮称）の敷地で、屋外展示されるそうです！

<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/010115-2.jpg"> 
↑奥に見えるのは、ほぼ完成した大極殿です（＾＾）

時代MAP編集部
山脇純子
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   <title>【JIDAIMAP MEETINGおさらい】あけおめです！☆スペシャルゲストで龍馬一色！！？</title>
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   <published>2010-01-05T05:44:04Z</published>
   <updated>2010-01-05T06:06:28Z</updated>
   
   <summary>新年　明けまして おめでとうございます!!!   ↑左から、ビビる大木さん、ザブ...</summary>
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      <![CDATA[<strong>新年　明けまして おめでとうございます!!!</strong>

<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/201001011.jpg"> 
↑左から、ビビる大木さん、ザブングル加藤さん、松岡編集長、ゴルゴ松本さん

あけちゃいましたね、<strong>2010年</strong>！
<strong>寅年</strong>のお目見えです。
昨年末から新年にかけて、コンビニやらスーパーで、
タ●ガースのポチ袋やデザイン年賀状などを多数目撃。
今年は妙に干支を意識しました。

2月に<strong>バンクーバーの冬季オリンピック</strong>開催、
6月に<strong>サッカーワールドカップ</strong>が南アフリカで開催、<strong>国際宇宙ステーション</strong>の完成etc……

<strong>名古屋開府400年、</strong>そして元旦に、皮切りした<strong>平城遷都1300年記念</strong>の祭典も大きな注目を集めています。

2010年、一体どんな一年になるのでしょうか？
いずれにせよ、皆さまがHAPPYの神さまにたくさん、たくさん愛される一年でありますように……。

さて、そんなおめでたい<strong>新年第一回目のJIDAIMAP MEETINT</strong>は、なんとスペシャルなことに<strong>元日夜の放送</strong>と相成りました（笑）

今回の放送では、いつもの二人に、新年にふさわしいスペシャルゲストに、昨年に引き続き二年連続御登場・幕末命っ！？？<strong>ゴルゴ松本さん</strong>、そして、<strong>ザブングル加藤さん</strong>をお招きしての幸先良いスタート。

なななント……<strong>寅年オトコ3人（ビビルさん、松岡編集長、加藤さん）</strong>＋メェ～メェ～とふっかふかの<strong>未年（ゴルゴさん）</strong>の4人でお届け。
ゴルゴさん、食べられないように気を付けてくださいね!!!

<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/201001013.jpg"> 
↑スタジオ内は、龍馬語り一色に

トークテーマは、つい先日、始まった今年の大河ドラマ<strong>『龍馬伝』</strong>でお馴染みの<strong>坂本龍馬</strong>。
いつものトンデモトークで、ゴルゴさんワールドが炸裂するかと思いきや、
この龍馬（幕末）に関しては一方ならぬ情熱を傾けられているかたばかりなので、<strong>龍馬尽くしの独走トーク</strong>を展開!!!
『戦略はあるがまま～♪』（M●X、TORA TORA TORAより）

まあ、面白かったらオールオッケーです！

そんなこんなで、激熱ではじまったJIDAIMAP MEETINGですが、本年も皆様にお楽しみ頂けますよう、一同精進してまいりますので、節に、節に、宜しく御願い申し上げまする!!!

<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/201001012.jpg"> 
↑スタジオ内をパチリ☆

個人的には、せっかくなので、皆さんでやっぱり<strong>『TORA TORA TORA』</strong>をフリ付きで踊って欲しかったナ・・・。
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   <title>【JIDAIMAP MEETINGおさらい】こんなところ来とうはなかった！！？　超エリート・遣唐使の過酷な旅路に迫る</title>
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   <published>2009-12-10T13:12:56Z</published>
   <updated>2010-01-05T05:37:04Z</updated>
   
   <summary>12月の第一回目のJIDAIMAP MEETINGは、流行語大賞の候補ネタで開幕...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jidaimap.jp/blog/">
      <![CDATA[12月の第一回目のJIDAIMAP MEETINGは、<strong>流行語大賞の候補ネタ</strong>で開幕デス。

・・・エコカー減税、1000円高速、オバマ政権、政権交代、ひな壇芸人、１Ｑ８４、婚活、草食系肉食系、弁当男子・・・などなどに混じり、異彩を放っていた

①“アシュラー”（阿修羅像好き女性）
②“歴女”
そして、
③“こんなところ来とうはなかった!!”（笑）

やはり、<strong>歴史ブーム</strong>ですね。
個人的には、③番目は、相当いろいろなところ（＋シチュエーション）で使えそうだなあと思うのですが、その一例として12月の最初の二週でご紹介する遣唐使でいうならば、当時、もし私如きのヘッポコが派遣されたとしたら間違いなく――

<strong>『こんなところ来とうはなかった！！！！！』（大号泣）</strong>

すると思います。
（超エリートが選ばれる時点でまず<strong>確実に無い</strong>）
あるときは、海の上で、あるときは、唐の宮廷で、あるときは、遭難先の諸外国で・・・・

そのくらい、遣唐使はすごく過酷な試練を担った、過酷な旅路を行きかった人たちなのです。
命がけでした。

ちょいと長くなりましたが、さてさて、遣唐使とはどのような役割だったのか？
・・・なぜ派遣されたのか・・・苦労話も交えて ご紹介します。

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<strong>そもそも、なぜ派遣された？</strong>
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遣唐使に至る前の、遣隋使時代からお話は始まります。
隋や唐は隣国と言いながらも超大国で文明も進んでいました。遣隋使は、隋が唐に滅ぼされた為、わずか4回（諸説あり）で終了。618年に中国大陸を支配した唐は、隋以上に中央集権体制が徹底し、法整備がされていた。
大和政権は「学ぶ所が多いなり・・・」と外交関係の樹立･･･遣唐使の派遣を決定したそうです。

そしてみなさんご存知、犬上御田鍬（いぬがみのみたすき）を大使とする第1回　遣唐使が堂々デビュー。日本の存在をアッピール！
目的には、遣隋使の時代に渡航した日本人の動静を探り、帰国させるという目的も持っていたそうです。

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<strong>結局何回派遣された？ </strong>
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編集長バシッと！
『全体の遣唐使派遣回数は、諸説あるが一般的な説では任命は20回。実際に渡航して派遣されたのは15回か16回。ちなみに最後の遣唐使の派遣は838年でした』

894年、菅原道真が遣唐使の大使に任命されるも、派遣の中止を意見。廃止された理由は唐の衰退に伴う治安の悪化など・・・
憶えましたよね、<strong>“白紙（894）に戻った遣唐使”！</strong>

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<strong>どのくらいの人数で唐まで渡ったの？ </strong>
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唐に渡った人は1回に500～600人。この内、政府の命を受けた正式な大使や副使などは10人余りだそうです。以外に少ない。
あとの数十人が船員や通訳。残りの数百人は自ら志願して選ばれた留学生や学問僧などなどでした。
ちなみに、陰陽師とかもいたんですよ！

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<strong>選ばれるオトコの条件 </strong>
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大使は、天皇の代わりに日本の代表として行くもの。その条件は、おのずと高いです。

<strong>第1に「大勢の人を率い、指図できる統率力」
第2に「姿形が立派で所作もバシッとしている（“イケメン”）」
第3に「学問を深く学び、優れた詩や文章が作れる」</strong>

優れた詩や文章が作れるというのは、この頃の賢い人の必須科目だったわけですが、

<strong>だれか紹介してくれませんか？（笑）</strong>

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<strong>遭難は？</strong>
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派遣された総数40数隻のうち10数隻が遭難。
遭難の多さの原因には、まず造船技術の未熟さ、そして、航路や天候などの諸条件さまざま。遣唐使の多くは夏の終わりから初秋にかけて出発しているが、帰りは季節が一定しておらず遭難は帰路に多かったのだとか。
ちなみに、その帰国の途にまつわる悲劇的エピソードで、<strong>第10回遣唐使船</strong>について。
第1船、第2船は無事、第3船、第4船は遭難、特に第3船は遠くマレー半島（現在、北部はタイ、南部はマレーシア）あたりまで流されたそうです。
乗客１０５人のうち、住民に殺されるほか、90人余りが熱病にかかって死んだ。
<strong>帰国したのはたったの4名</strong>だったといいます。

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<strong>到着後も大変でした。</strong>
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遣唐使は、唐に到着してからも、気が抜けませんでした。
長安（ちょうあん）の都（唐の首都）は揚子江口から更に1400キロの遥か彼方。
<strong>日本の本州を縦断する程の距離</strong>だったそうです!!!

気を失いそう・・・。

長安へ行くためには、大運河を船　→馬車と馬を乗り継いで旅を重ね、陸路だけで2ヶ月以上もかかる長い長い旅路。
しかも、全員が入京できなかったそうです。
それというのは、長安への案内、食事や宿舎、荷物を運ぶ人々の用意etcetc……遣唐使にかかる旅費や滞在費も、すべて唐からのもの。唐への使節は日本だけでは無かったため、その費用は莫大な金額になり、大帝国の唐にとっても大変。そこで費用節約のために、長安の都に入京できる人数を制限。第１3回目の遣唐使の場合は、長安に入れたのは43人だけだったそうです。

こんな過酷な条件で、『二度と日本に戻れないかも知れないかも……』と思いながらも、それぞれの使命のもと、唐に旅立つ人々。
使命を果たそうと、ものすごく強靭な精神力と責任感を持っていたのでしょう。


私でしたら、確実に

<strong>『こんなところ来とうはなかった！！！！！』（大号泣）</strong>

します。（ひつこい）

来週は“鑑真の渡来”“唐から日本に伝わったもの”“遣唐使たちのその後”をご紹介します！

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   <title>本日11月26日は“いい風呂”の日！日本のお風呂の起源に迫ります</title>
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   <published>2009-11-26T11:03:42Z</published>
   <updated>2009-11-27T01:16:31Z</updated>
   
   <summary>こんにちは、時代ＭＡＰ編集部の山脇です。 突然ですが、今日は、お風呂の日です。 ...</summary>
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      <![CDATA[こんにちは、時代ＭＡＰ編集部の山脇です。
突然ですが、今日は、<strong>お風呂の日</strong>です。
<strong>11月26日･･･11（いい）26（ふろ）。</strong>日本浴用剤工業会が制定したそうです。
う～ん、ウマい！（笑）

せっかくのなんか楽しい記念日なので、お風呂の歴史などをご紹介したいと思います。

今、お風呂といえば、たっぷりの湯船にざぶんと浸かり、
『ふぃ～極楽極楽！』というものを想像しますよね？

でも、ほんっとに大昔の、それこそ“発祥”のころのお風呂は現在とは全く違ったものでした。

日本で<strong>“お風呂に入る”</strong>という行為が始まったのは、今からおよそ1300年も前の8世紀頃のこと。はい、<strong>11月放送のJIDAIMAP MEETINGで<a href="http://www.jidaimap.jp/blog/2009/11/post_84.html">トークテーマ</a>にしている古代・奈良時代のことです</strong>。

当時のお風呂は、密閉した室に焼き石などを用い、蒸気を篭らせるいわば<strong>“蒸し風呂”</strong>のようなものだったとのこと。
今でいうところのサウナみたいなものでしょうか？

仏教の渡来とともに日本に伝わったという説があり、<strong>単に心身を清めるという意味だけではなく、もっと精神的な･･････禊だとか、浄化するという意識</strong>があったそうです。
気分が癒されて、すっきりした気持ちになる♪　
確かに･･･････なんとなく、仏教用語の<strong>『極楽』</strong>にも通じるものやなあと妙に納得してしまいました。

ちなみに、どんな風にして広がったかというと、仏教を広めるために、大寺院が寺に入浴施設を建て、一般庶民に入浴の機会を与えたそうです。

さてさて、そんな大昔のお風呂ですが、国の重要有形民俗文化財に登録されている史跡があることをご存知ですか？
それはどこかというと、奈良にある<a href="http://www.hokkeji-nara.jp/"><strong>法華寺</strong></a>という大変な古刹で、光明皇后が 総国分尼寺として建立しました。光明皇后は、現在放送中のJIDAIMAP MEETINGの<a href="http://www.jidaimap.jp/blog/2009/11/post_84.html"><strong>“大仏”</strong></a>の回で主演？で登場している聖武天皇の奥さんです。
日本史上の中の皇后のなかでもっとも慈悲深く、一説では大変な美貌の持ち主だったそうです。
そんな皇后が、多くの貧しい人や難病者を救済するために建てたのが、この<strong>“から風呂”</strong>。薬草を煎じた蒸気を用いたものだったそうです。

建物は室町後期に改築されたものらしく、一部には奈良時代の敷石が残っているそうです。

ちなみに、湯船にざぶん！なお風呂は江戸時代中期以降に始まったそうです。
温泉は、（湯治目的）奈良時代からあったそうなんで、なんと、かの聖徳太子も温泉旅行に行っているのだとか･･････。

また、機会があればこの辺りのこともご紹介しますね。

今宵も寒くなります。
ぬくぬくのお風呂でゆ～っくりあったまって、今日の疲れをリフレッシュさせてくださいね（＾＾）


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   <title>【JIDAIMAP MEETINGおさらい】日本のモースト・ポピュラー・仏像＝奈良の大仏さんのあれやこれやに迫る！</title>
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   <published>2009-11-25T02:22:36Z</published>
   <updated>2009-11-25T10:02:29Z</updated>
   
   <summary>古代史ピックアップの11月、2番手のテーマは “奈良の大仏さん”！ 一度は、修学...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jidaimap.jp/blog/">
      <![CDATA[古代史ピックアップの11月、2番手のテーマは <strong>“奈良の大仏さん”！</strong>
一度は、修学旅行などでお会いになられた方も多いのではないでしょうか？
日本国民にとってはある意味もっともポピュラーともいえる?　
この大仏さんにまつわるあれやこれやを熱く語りました。

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<strong>そもそも、なぜ造られたの？</strong>
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気になりますよね。なぜに、あんなに巨大な大仏が造られたのか。<strong>高さ、約15ｍ！</strong>
一言でいうと、仏法の力で、世の災いを鎮めよう・・・･･･ということなんですけど、奈良の大仏は、先週紹介した聖徳太子の時代からおよそ100年後の聖武天皇の時代＝奈良時代に造られました。
クライアント兼プロデューサーは聖武天皇。 
この頃は暗い事件や災害が頻発し、大地震、干ばつ、農作物は不作。天然痘も広まり、多くの人が亡くなりました。
737年、政治の実権を握っていた藤原家の4兄弟までが天然痘で世を去るという・・・・・・そういう背景があるわけですが、そんな時代の舵取りを任せられた聖武天皇は、大仏造営の前に、なんと都である平城京を脱出いたします。

<strong>ええっ！？？　そんなご時勢に脱 出 で す か　(;ﾟДﾟ)</strong>

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<strong>自分探し？5年にわたる天皇と都の放浪物語</strong>
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その理由は、色々とあるようなんですが、結論は謎！とされています。
身内の反逆などを恐れたのではないかという説も.。
その道程は、まずは伊勢へ。
ここから<strong>約5年にわたるロ～ング、ロ～ング、ロ～ングジャーニー</strong>が始まります。
まずは手始めに恭仁京遷都（京都府木津川市）→紫香楽宮(しがらきのみや)（滋賀／現在の狸の置物で有名な信楽）→難波宮(なにわのみや)（大阪）→紫香楽宮と各地に都を造営しては転々したのち、ようやく平城京へご帰還。

ちぎっては投げ、ちぎっては投げ･･････
 
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<strong>そして、奈良の大仏さまができるまで</strong>
------------------------------------------------------------
自分探しの旅の最中、どうして大仏を造営することを思いついたのでしょうか・・・？
そのきっかけは、難波に出かけられた時に河内国にある“知識寺(ちしきじ)”を訪れそこで本尊の“盧舎那仏”を見たことらしいです。寺名の“知識”とは寺院や仏像を造るときに、お金を寄付したり労働するなどすることで“盧舎那仏”は地域の豪族や名もない民衆が自発的に資材や労力を提供、協力して造ったもの。

<strong>「こ、これであるぞ！・・・・・・∑(o'д'o)ﾊ-ｯ!!」</strong>

いたく感銘を受けた聖武天皇は自ら呼びかけ人となり、<strong>国家規模の巨大な“盧舎那仏”を造ることを決意！</strong>

古代のプロジェクトＸ、始動です！ちゃ～らちゃっちゃっらちゃ～らら～～（地上の星）

ちなみに当初の計画では、大仏は奈良でなく紫香楽宮　甲賀寺に座す予定だったそう。
<strong>「天皇の権力を行使せずあくまで民衆の自発性、信仰心によって大仏を完成させ国家を安定させようと考えたのではないでしょうか」</strong>・・・と編集長のコメントでした。

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<strong>カリスマ僧侶・行基、登場！</strong>
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しかし、どんな風にして民衆の協力を得たのか？
登場したのが、民衆のカリスマ的存在の僧侶　行基(ぎょうき)。
<strong>庶民のスーパースター・行基</strong>は天皇の自発的に造営参加を求める姿勢に共感し自身の門下を率いて寄進を募ります。
もともと行基は朝廷の許可を得ずに勝手に出家しちゃった私度僧で、むしろ朝廷にとっては規律を乱すなんとも困った存在だったのですが、聖武天皇は、行基が持っていた土木技術や民衆の組織力を、大仏建立に役立てようと大抜擢。
目的が一致した結果、互いに手を取り合ったというわけです。

造営を発表した約1ヶ月後には、骨組が建てられたものの、年あけに山火事が頻発。地震まで発生。翌年になってもおさまらず、ここに紫香楽での大仏造立工事は中止。平城遷都を決意したそうな・・・。

<strong>☆本日のMAPコーナー☆</strong>

<a href="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA&sll=36.5626,136.362305&sspn=29.230755,46.142578&brcurrent=3,0x600137c578a70cc1:0x4afed9b0b9492622,0&ie=UTF8&hq=%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA&hnear=%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%B8%82%E9%9B%91%E5%8F%B8%E7%94%BA,+%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA&ll=34.698578,135.841055&spn=0.029356,0.045061&z=14&iwloc=A">東大寺</a>
改めて、もう一度奈良の大仏を見に行きましょう！！と言うことで、奈良の大仏さまが鎮座する東大寺をクローズアップ。奈良時代以降、2度の焼失にあい、鎌倉と江戸時代に再建された大仏さまを見ることができます。門前にはおなじみ、鹿君たちもたくさんいますよ！

奈良市雑司町406-1
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   <title>錦色の京都を訪ねました～東福寺・通天橋の紅葉～</title>
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   <published>2009-11-19T03:07:03Z</published>
   <updated>2009-11-19T07:02:42Z</updated>
   
   <summary>  東福寺『臥雲橋』から見る錦秋の東山。向こうに見えるのは『通天橋』 めっきり、...</summary>
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      <![CDATA[<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/200911191.jpg"> 
東福寺『臥雲橋』から見る錦秋の東山。向こうに見えるのは『通天橋』

めっきり、寒くなりましたね。
いよいよ、京都は紅葉の見ごろ到来です。
真っ赤なモミジもいいけれど、個人的には
赤・黄・緑・・・錦のように、いろんな色が織り成された
紅葉のほうが、自然の神秘を感じて好きです。
先週末、やけに自然に触れたい･･･と思い、訪れたのは
<strong>京都五山の一角を担う、東山の山裾に広大な寺域が広がる超名刹・東福寺</strong>。

とにかく、広いです。そして、<strong>マイナスイオン</strong>が豊富（笑）

<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/200911192.jpg"> 
<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/200911193.jpg"> 
<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/200911194.jpg"> 
<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/200911195.jpg"> 

仏殿から開山堂（常楽庵）に至るまでには、洗玉澗（せんぎょくかん）と呼ばれる渓谷があり、そこには<strong>通天橋</strong>と呼ばれる橋廊が架けられています。

室町時代に、同寺の高僧・春屋妙葩（しゅんおくみょうは）が、
層たちの谷を渡る労苦をなくすために、架けたと伝えられます。
歩廊入口にはお寺の開山の祖・聖一国師の筆になる「通天橋」の扁額が。
ちなみに、同寺の紅葉は「通天（つうてん）もみじ」と呼ばれ、そのルーツは、この聖一国師にまで遡ります。
紅葉の葉が三つに分かれる独特の形をしており、聖一国師が修行先の宋・杭州から持ち帰ったものだそうです。この聖一国師は<strong>とにかく色々とすごい人</strong>で、高僧に対して皇帝（朝廷）から贈られる諡号の1つである“国師”を、日本で最初に授かった人なんだそう。

さてさて、紅葉のほうですが･･･。
以前、モダンな京都の名品案内で<strong>寺務長の永井慶洲さん</strong>がおっしゃっていたように、その日の通天もみじも色とりどり鮮やかな錦の彩りで、力強い生命力に満ち溢れていました。

ピークは今週末の三連休辺りですが、すでに先週末の開門時からで、大勢の人だかり（笑）
いつもより30分も早く開けられているんですけどね（＾＾；）

とにかく、ほんときれいで自然のパワーをもらえることは間違いなしです。
ぜひぜひ、皆さんも一度ご覧になられてはいかがでしょう？

<strong>ただし、この週末に行かれることは相当の覚悟の上で行かれることをオススメします・・・・・・。((;゜Д゜；；))</strong>



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   <title>【JIDAIMAP MEETINGおさらい】古代史のヒーロー・聖徳太子に迫るPart2！！！</title>
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   <published>2009-11-17T03:20:11Z</published>
   <updated>2009-11-17T03:26:13Z</updated>
   
   <summary>先週に引き続き、今週は聖徳太子の第二段！ 聖徳太子といえば、日本古代史界のスーパ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jidaimap.jp/blog/">
      <![CDATA[先週に引き続き、今週は<strong>聖徳太子</strong>の第二段！

聖徳太子といえば、<strong>日本古代史界のスーパーヒーロー</strong>。
今週は、彼が推し進めた政治改革を中心にお届けしました。
<strong>その中身まさに、“構造改革”。</strong>
なんだか、情熱大陸とかそういう番組で、彼のドキュメンタリーとか見てみたいな・・・。

ちなみに、まったく放送外の話。
聖徳太子は日本初のファッションリーダーであるというお話をチラと聞いたことがあります。彼のトレードマークでもある髪型「鬟」（みずら）ヘア（Mみたいな形の・・・）を、彼が始めたのち、廻りの男子もこぞって真似て、あっという間に流行したそうです。。。

さてさて余談はさておき、早速おさらいを。

<strong>●なんとなく聖人的イメージ・・・結婚はしていたの？</strong>

4人の妃がいたのは確かで、5人いたとも言われております。当時は一夫多妻の世で、子供は合計して14人くらいいたそうです。素晴らしく子だくさん。見習わねばなりませんが、一夫多妻は嫌だなあ。男性にとっては、うらやましい限りでしょうか？？（＾＾；）


<strong>●新政権発足。まず取り組んだ冠位十二階とは？！</strong>

隋と対等に交流できる国家の建設の、最初の試みが、603年制定の「冠位十二階」です。
これまでは政権内での役職は、主要豪族たちの世襲が主でしたが、冠位十二階の制定により、役職は世襲ではなく個人の能力に応じて与えられるように・・・。つまり、本当にさくっというと、
“枠をとっぱらっっちゃった”
というわけです。これ即ち、構造改革。かなり大胆な取り組みだし、きっと反発もあったんじゃないかなあと。

<strong>●出世欲に火をつけた？ </strong>

官位十二階の内容は、徳（とく）・仁（じん）・礼（らい）・信（しん）・義（ぎ）・智（ち）という位を大小に分けて十二階とし、それぞれに6色の冠を与えたもの。大徳・小徳冠は紫色、大仁・小仁冠は青色など・・・。ちなみに、12の位階は固定的なものではなく、功績が認められれば昇格のチャンスも与えられたとか。人目で、この人はエライ！とかいうのがわかるので、いつか紫をゲットしてやる！という出世への情熱に火がつく人もいたのでは？・・・と松岡編集長でした。

<strong>●なぜか心に響く『憲法十七条』の言葉</strong>

官位十二階の翌年、制定された憲法十七条。あらためて天皇中心の国家体制樹立が強調されたわけですが、これは官僚として朝廷に仕える豪族が守るべき道徳的規範、心構えを示したものだそう。

<strong>「一に曰（いわ）く、和を以（もっ）て貴（たっと）しと為す。忓（さか）ろうこと無きを宗と為す」。
（＝）
「ひとつ、和を大切に、人とあらそわないように心がけなさい」からはじまる。」</strong>

条文はこんな風にはじまりますが、すなわち誠実に働くこと、大王を絶対視すること、仏教を敬うこと、などが主な内容。

ほかにも、

<strong>・善と悪をよくみきわめなさい。　
・適材適所で仕事をきちんとしなさい。
・信を忘れてはなりません。
・意見の違う人の言葉を聞きなさい。　
・民から勝手に税をとってはいけません。　
・同僚の仕事の内容を知っていなさい。　
・人をうらやんではなりません。
・ものごとはひとりできめてはいけません。</strong>

･･････etcetc

などなど、なんだかすごく心に響く内容・・・・・・。
ありがたや～ありがたや～って、ちょっと違いますか？（笑）
基本的な人として･･･のようなことの教えにも思えます。
しかし、言葉で言うのは簡単ですが、毎日のなかでは、時になかなかうまくいかないこともありますよね。でも、だからこそ掲げることは大切なのかも。
今も昔も変わらないですね。1400年前の訓示に心を打たれたのでした（＾＾）

さて、その後内容は遣唐使、太子のその後の生涯など、奥深～い話にずぶずぶと。
最後は、編集長が訪ねた聖徳太子ゆかりの地、法隆寺の紹介で幕を引きました。


<strong>☆本日のMAPコーナー☆
法隆寺</strong>
聖徳太子の父・用明天皇が病気平癒を願って建立を命じたものの、志半ばで崩御。その意思をついで太子が建立。

編集長『京都の寺院を見慣れている目には、東大寺などそんなに違和感はないのですが、やはり何かこう日本的ではない中国的なイメージの装飾があり・・・一方ではギリシアのパルテノン神殿のような意匠も見られ･･･う～～む、飛鳥時代特有の建造物だと感じました』といたく感動されていました。
<a href="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA&sll=36.5626,136.362305&sspn=44.906355,45.351563&brcurrent=3,0x6006c0ca776d27c9:0xea3376a1be8b28ad,0&ie=UTF8&hq=%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA&hnear=%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E7%94%9F%E9%A7%92%E9%83%A1%E6%96%91%E9%B3%A9%E7%94%BA%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA%E5%B1%B1%E5%86%85,+%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA&ll=34.615621,135.734282&spn=0.043724,0.044289&z=14">奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内１の１</a>]]>
      
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   <title>【JIDAIMAP MEETINGおさらい】古代史のヒーロー・聖徳太子に迫る！！！</title>
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   <published>2009-11-09T12:59:44Z</published>
   <updated>2009-11-09T13:08:52Z</updated>
   
   <summary>季節はもう11月。めっきり寒くなりましたね。 京都の北部では早くもミゾレが降った...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jidaimap.jp/blog/">
      <![CDATA[季節はもう11月。めっきり寒くなりましたね。
京都の北部では早くもミゾレが降ったとこもあるのだとか∑(o'д'o)!!
さてさて、そんな冷え込む晩秋の夜長に放送開始の今月のテーマは、“古代”。
来年、2010年に幕開けする“平城遷都1300年祭”に向けてプレイベントなども開幕されている“奈良”をクローズアップします！

今週、来週の主役は、かの聖徳太子。彼の生きた時代は飛鳥時代･･･なんだか遠すぎてピーン!!と来ない方もいらっしゃるかと思いますが、遡ると旧石器・縄文　→　弥生時代　→　古墳時代　→　飛鳥時代　→　奈良時代　→　平安時代･･････遡ることおよそ1400年!!!　


まず、「聖徳太子」のいたこの時代には、日本とか天皇といった言葉は使われていなかったそう。日本は倭国（わこく）、天皇は大王（おおきみ）と呼ばれていたそう。当番組では、使い慣れた日本、天皇という言葉を使いました。
　　　

<strong>●聖徳太子は実在しなかった？！ </strong>

いきなり、近年注目されているあのセンセーショナルな話題からズバッと。
編集長いわく、「聖徳太子とは、後世の呼び名。謎の多い人物で、死後に書かれたさまざまな関連書物では、10人の話を正確に聞き分ける･･･等々、超人的な人物として描かれ、等身大の人物像はわかっていない。歴史上の人物として評価しなおすため、近年の高校教科書では、「厩戸王（うまやどおう）」という表記が一般的になっているらしい。

＞＞＞それについて、ちょこっと書店さんに取材を慣行！

すると、厩戸王（聖徳太子）と表記し、「摂政」という言葉も使われていないのだとか･･･!!
私らの子供の時代は違ったので、ちょっとオドロキでした。


<strong>●歴史舞台への初登場は？</strong>

編集長いわく、初登場は587年。仏教の導入を巡り戦いが起こり、この戦いに太子も参加していたのだとか。時の天皇は、仏教を受け入れるべきか否かを豪族たちに問うのですが、在来の宗教を信仰する勢力、物部尾輿らはこれに反対、蘇我氏のリーダーだった蘇我稲目は賛成しました。崇仏派の蘇我氏　ＶＳ　排仏派の物部氏の対立は次第にエスカレート!!!!!　ついに蘇我馬子（稲目の子）が物部守屋（尾輿の子）を滅ぼして蘇我氏が実権を握った。これ以降、仏教の導入が本格的に進行。

蘇我氏の血を引く太子は、10代なかばにして蘇我軍の一員として戦場に赴いたといわれる。これが歴史舞台への初登場だということです･･････。
 
<strong>●政界デビューは？</strong>

592年、史上初の女帝（諸説あり）推古天皇が即位します。
ちなみに、聖徳太子は推古天皇の甥にあたり、推古天皇を補佐する地位に聖徳太子がつき、蘇我馬子を合わせた3人が当時のヤマト政権の主要構成者。になったのだとか。
つまるところ、分かりやすく言うなら“新政権の発足”ということ！

以降、聖徳太子は、冠位十二階、十七条憲法、遣隋使など数々の改革を図っていくのですがこれらは来週に詳しくご紹介します！！

乞う、ご期待くださいませ！]]>
      
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   <title>【JIDAIMAP MEETINGおさらい】幕末・維新の基礎知識　　最終回　ラスボス登場！！！</title>
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   <published>2009-11-02T12:24:45Z</published>
   <updated>2009-11-04T07:56:35Z</updated>
   
   <summary>10月、大好評のなか放送した『幕末維新の基礎知識』の記念すべきラスト回に、超！ス...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jidaimap.jp/blog/">
      <![CDATA[10月、大好評のなか放送した『幕末維新の基礎知識』の記念すべきラスト回に、超！スペシャルなゲスト様が登場∑(o＞д＜o)

<strong>ふ・ふ・ふ･･････ラスボス級の御方です!!!!!</strong>

<strong>「どうも ! 石井ちゃんです☆」</strong>

そうです、みなさんご存知・やるせなす石井さんです。

石井さんとビビる大木さん、とっても仲良しのお二人は<strong>ほぼ同期同士</strong>なんだそう。

ビビるさんは、アツイ幕末ファンですが、そのきっかけとなった「<strong>新撰組学習京都旅行</strong>」のご同伴者こそ、この石井さんだったのだとか。
なんでも、お二人は徒歩5分圏内のご近所さんで、なんともいえず、こう、親密～～～+.(*'∇'*)ﾟ+ﾟな空気が。

<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/20091103_3.jpg"> 
↑和気あいあいとした雰囲気のなか、トークが進行

<strong>まさに、『マブダチ!!!』って感じです☆ (≧∇≦)</strong>

さて、気になるトークの内容ですが、今回は石井さんが、<strong>幕末ヒストリー</strong>求めて、<strong>伊豆・下田</strong>へお邪魔されたお話をご披露いただきました。

伊豆といえば、伊豆の踊り子･･････『踊り子号』に乗って、たどり着いたのは下田の「<strong>宝福寺</strong>」。

<strong>唐人「お吉」</strong>で有名なお寺ですよね。お吉は開国を求める米国の<strong>使者・ハリス</strong>の侍妾と、米側の真意を知るための手段として、日米通商に当って日本側が有利になるよう、下田奉行所が差し向けた女性。
投身自殺で生涯を終えますが、彼女の半生は小説や映画、舞台でも語り継がれています。

そんなお吉ゆかりのお寺で、石井さんが出会った幕末維新の超<strong>レアエピソード。</strong>
幕府を牽引していたアノ勝海舟と、元・土佐藩藩主・山内容堂が、<strong>“脱藩者・坂本龍馬”</strong>の処分について、膝を突き合わせ、語り合っていたそうなんです！！！
ヽ(*'0'*)ﾂ ﾜｧｵｫ!!

<strong>要は、「幕府の操船訓練場で預かっている坂本龍馬の脱藩の罪を堪忍してやってくれ、頼む！」と。</strong>

<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/20091103_2.jpg"> 
↑山内容堂が、勝さんの要望を受け入れた証に一筆入れた扇子なぞったお土産

ちなみに、坂本龍馬さんの元は勝海舟を暗殺しに行ったものの、勝さんの徳の高さ･･･もとい、見識の広さにほれ込み、結局そのまま勝さんのお弟子さんになったとか。

ミイラ取りがミイラに･･･とは、こういうのにも当てはまるのかな？

しかも、この二人（勝海舟と山内容堂）なぜこんな話し合いの場を設けたかというと、なんと<strong>たまたま二人それぞれ乗った舟が足止めにあった際、勝さんが山内さんが居ることを知り、対面を申し込んだのだとか。</strong>

人生って、どんぴしゃのタイミングで、奇跡のような出会いをすることがあるんですね！

さて、最後に、番組中ＯＡされた<strong>サザンオールスターズのアルバム「さくら」に収録されている「唐人物語」</strong>のモデルは、先のエピソードで軽く触れた唐人・お吉さんだそう。

お話を知っていて、歌を聴くとさらに感慨深いものになりそうですよね（＾＾）

<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/20091103_1.jpg"> 
↑みんなで、はい！チーズ♪　最高の収録でした！

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   <title>ビッグニュース！“セントくん”でお馴染み。遷都1300年のガイドブックを制作します！</title>
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   <published>2009-10-29T12:38:00Z</published>
   <updated>2009-10-29T12:53:18Z</updated>
   
   <summary>10月ももう終わりですね。 唐突ですが、本日はかの鹿さまの王国？奈良に行ってきま...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jidaimap.jp/blog/">
      <![CDATA[10月ももう終わりですね。

唐突ですが、本日はかの鹿さまの王国？奈良に行ってきました。
来年、遷都1300年を迎える奈良の街は、以前に訪れたときよりもなんだかソワソワo(*≧ω≦*)o
･･･いたるところにセントくんのポスターなどが貼られ、来る2010年を今か今かと待ち構えている雰囲気がありました。

<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/20101029.jpg"> 
↑先日、公開された「第一次大極殿正殿」を下から覗き見（笑）

先にもお伝えしたとおり、来年は<strong>平城京遷都1300年祭</strong>が開幕。
<strong>平城宮跡</strong>を中心に、石舞台古墳など史跡満載の<strong>飛鳥</strong>や聖徳太子ゆかりの<strong>斑鳩・信貴山</strong>、神仙境の風情を色濃く残す<strong>吉野など</strong>、それぞれ特色のある<strong>エリア全域をテーマパークに見立てた</strong>同祭典では、一年を通してさまざまな催しが繰り広げられます。
平城宮跡では、写真にも掲載している、政治・儀式の場となった<strong>大極殿</strong>や、<strong>あの遣唐使船の復元</strong>、外国の使者をもてなす<strong>パレードの再現</strong>などもあるんだとか。もちろん、なだたる社寺仏閣で、普段は拝観できない<strong>秘仏や寺宝などの公開</strong>も･･････。
これだけやって、楽しくないわけがないですよね！

それに合わせて、当・新創社では･･･････
<strong>この、平城遷都1300年を記念したガイドブックを制作します!!!</strong>

神話の時代から、古墳、飛鳥、そして「あおによしなら（安寧）の都」と歌われた平城京まで、“日本”という国がつくられた、スペクタクルな時代の魅力をがっつりお届け！

詳細は、また徐々にお知らせさせて頂きますね（＾＾）
奈良のそわそわに合わせて、にわかに社内も慌しくなり････。

祭典を200％楽しめる本書を、是非ともご期待ください。

さて、明日30日金曜日のJIDAIMAP MEETING は、「幕末・維新の基礎知識」の最終回、
<strong>なんとあの「やるせなす」の石井さんがスペシャルゲストとして登場！</strong>

こちらも、是非ともお楽しみ下さいませ☆
以上、時代ＭＡＰ編集部、山脇がお届けしました（＾＾）
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   <title>【JIDAIMAP MEETINGおさらい】幕末・維新の基礎知識Part④　散る徳川幕府</title>
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   <published>2009-10-26T12:34:58Z</published>
   <updated>2009-10-26T12:46:05Z</updated>
   
   <summary>今月のテーマ、幕末維新の基礎知識もいよいよ大詰めになってまいりました。 開国によ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jidaimap.jp/blog/">
      <![CDATA[今月のテーマ、幕末維新の基礎知識もいよいよ大詰めになってまいりました。
開国による混乱が渦巻く中、徳川幕府にこの国の舵取りを任せておけないっ･･････！
ついに、薩摩と長州を中心に、世は“倒幕”の大激流に。
ご存知、坂本龍馬＆中岡慎太郎がお膳立てした薩摩・長州藩の協調で、いよいよ国は大きく変革･･････。
<strong> “大政奉還”“王政復古の大号令”</strong>徳川幕府の終焉に迫りました。

<strong>幕府終焉のプレリュード
第二次長州征討</strong>

倒幕の火蓋を切ったのは、高杉晋作を筆頭とする長州藩。幕府に猛烈に反抗します。
これに対し、<strong>「ムッキ～～!!! ヽ（｀⌒´♯）ノ」</strong>となった江戸幕府は、長州に２度目のお仕置き部隊･･････もとい、征伐軍を送ることを決断。
 
さてはて、10万もの大軍勢で牙を向く幕府でしたが、<strong>結果は予想に反して大敗北</strong>！
実は幕府側は、前回の出兵による負担が大きく、
多くの大名が<strong>「マジ勘弁･･････」</strong>てな感じ？ に消極的。
<strong>長州藩は薩摩から入手した最新洋式銃を携え、動きやすい軽装</strong>で待ち受け、士気・軍備ともに劣る幕府軍は苦戦。そんな戦争の最中、幕府14代将軍・徳川家茂が病死。
幕府の大敗は決定的になりました。
そしてご存知、<strong>最後の将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が第15代将軍に就任</strong>したというわけです。
 
幕府の力が衰える中、ついについに、土佐藩は、大政奉還＝徳川幕府が政権を朝廷に返上するように意見。
1867年10月14日･･････約265年間続いた徳川幕府の時代が終わりを迎えました。


<strong> 原型は坂本龍馬。大政奉還に迫る！</strong>

政権を朝廷に返上する･･････ご存知、大政奉還です。これは京都の二条城で決断されました。原型は坂本龍馬の新政権構想にありました。その名も「船中八策（せんちゅうはっさく）」。流血を避け、なおかつ政権返上後も徳川の権力が、ある程度、維持できると考えたものでした。

では、その政策の内容というと･･･

<strong>①政権を朝廷に返上せよ（大政奉還の提案）
②上下院の議会を設け、議員の討論ですべてを決定せよ（議会の設置）
③あらゆる層から有能な人材を集めよ（人材の登用）等々</strong>

朝廷を中心とした新国家体制というわけです。
ちなみに……<strong>坂本龍馬は、大政奉還の約1ヵ月後、盟友・中岡慎太郎とともに京都の近江屋で斬殺</strong>。
高杉晋作から譲られたピストルを使う間もないほど、突然の襲撃だったそうです。

さて、やむなく政権返還を決意した幕府でしたが、真の狙いは「天皇を頂点とする日本の中で徳川家が最大の大名として力をふるうこと」で、まだまだ政治の実権を握るつもりだったらしいです。

さすが、家康のＤＮＡを次ぐだけ有り、たくましい限りですね。
 
<strong>「徳川幕府の終焉」を決定付けた、
王政復古の大号令</strong>

「大政奉還」で徳川は政権を朝廷に返すものの、実際は徳川が実権を握ったまま（･･;）
<strong>つーか、何も変わっていないじゃん！</strong>
と面白くない薩摩藩や長州藩。武力に訴えても、徳川氏を新政権から追いだそうと画策し、クーデターを敢行！
結果、明治天皇が<strong>「王政復古の大号令」</strong>を発令＝徳川幕府の政治制度を廃止し、朝廷による新政府の組織を宣言。<strong>徳川慶喜の大政奉還と将軍辞職を認めて、幕府を廃止</strong>しました。
 
<strong>しか～～し!!</strong>
納得のいかない徳川家ＶＳ徳川家をトコトン叩いておきたい新政府軍は、「鳥羽伏見の戦い」の戦いをきっかけに、「戊辰戦争」に突入。
新政府軍の勝利。約260年間続いた江戸幕府はついに幕を閉じたと･･･････
 
さて、駆け足で「幕末維新」の流れを見てきました今月のミーティング。
なななんと、まだまだオマケがあります！

<strong>来週は、なんと「やるせなす」の石井さんがスペシャルゲストとして登場！</strong>お題は、モチロン幕末時代！
請う、ご期待です（＾＾）
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   <title>“ナゾの時代祭” と遭遇。その真相を探る！</title>
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   <published>2009-10-22T09:32:09Z</published>
   <updated>2009-10-26T08:32:42Z</updated>
   
   <summary>【10月22日 ＡＭ９：５０】 編集者Ｙからの電話： 『ゼィゼィ･････・お、...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jidaimap.jp/blog/">
      <![CDATA[<strong>【10月22日 ＡＭ９：５０】

編集者Ｙからの電話：</strong>
『ゼィゼィ･････・お、おはようございます～～～。編集長、あのぅ、スミマセン･･････』

<strong>松岡編集長：</strong>
『なんや、どしたん？』

<strong>編集者Ｙ：</strong>
『<strong>時代祭の通行止め</strong>にあって、遅刻しそうです!!　(ノД`)・゜・。　』
（七条通を堀川に向かって自転車で爆走･･･西進中）

と、言うわけで、予定通り1分12秒ほどの遅刻。
･･････断じて、断じて<strong>寝坊ではござりませぬ</strong>!!!

<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/200910220947000.jpg"> 
＜警備のおっちゃんに進路を阻まれ震える手で押さえた一枚＞

★*:,..,:*☆*:,..,:*★★*:,..,:*☆*:,..,:*★★*:,..,:*☆*:,..,:*★

今日、10月22日は、皆さんご存知の<strong>「時代祭」</strong>でしたね。
平安から明治時代まで、時代を代表する人物に扮した総勢2000名の行列が、華々しく列を成し、京都御所から平安神宮に向かう、京都三大祭の一つ。
<strong>催事のスタートは、ＰＭ12：00</strong>･･････あれ？

さて、勘のいい方はすでにお気づきかと存じます。

<strong>『なぜ、編集者Ｙは、時代祭 開催場所の、京都御所からはるか南の七条通において、２時間も前に、行列に遭遇したのか!!!?』</strong>

<img src="http://www.jidaimap.jp/blog/img/20091022map.jpg"> 
＜現場地図　時代祭開催ルートと、ナゾの時代祭遭遇ポイント＞

さて、突然ですが、ここでちょっと歴史のおさらいです。
そもそも時代祭は、今から約115年前の明治28年、京都で開催された第４回内国勧業博覧会で平安神宮を創建し、その記念行事としてのちに市民の手により始まったものです。
東京遷都で旧都となり、一時大きく活力を失った京都の、復興を内外にお披露目するという、まさに京都人のアイデンティティを再度確認し、威信を示す超重要なイベント。

<strong>『京都において、ほかにはまねを出来ない、伝統行事の粋を歴史風俗絵巻として内外に披露し、京都発展の象徴として京都市民の熱意によって、永遠に継続する』</strong>そんな思いをこめての祭の創始でした。ゆえに、時代祭は、京都全市民が作りあげる祭として、今日まで継承され続けてきたということです。

この時代絵巻に参加する<strong>歴史上の有名人から、名もなき足軽まで、キャストは京都市民。</strong>その配役は、実は<strong>持ち回り制</strong>になっており、<strong>京都市下の学区単位</strong>で担当することになっています。

京都市の観光課さんの話によると、
<strong>「どんな配役があたるか、いつ当たるかは、さまざまです。毎年担当する学区もあるんですよ☆」</strong>

行列に参加される方々は、何ヶ月も前から各学区の小学校などで、隊列や着付けの練習をして本番に臨むのだとか。ちなみに、綿密な時代考証に基づいて仕立てられたおよそ1万2000点におよぶ衣装や道具は、すべて「平安講社」という市民組織から提供されます。

さてさて、遅刻間際に思わぬ場所で遭遇しナゾ謎の時代祭の正体・・・・・・そろそろお分かりでしょうか？

実はこの行列、12：00からスタートする時代祭の前に、<strong> “京都人としての晴れ姿を地元住民にお披露目するために、出発前に地元を練り歩いていた”</strong> というわけです。このプレビュー行事は、行う学区、行わない学区それぞれあるそうです。ある意味、遭遇できてちょっと幸せかも･･････な感じでした。

ちなみに、トラブル報告をうけた時、編集長は
「なんであんな場所と時間で時代祭行列にあうかな～～って、首ひねったわ。また、<strong>お得意の幻</strong>を見てるんちゃうん～」と思ったそうで。

ひどい！
撮影したケータイ写真で潔白は証明されたものの･････
まあ、要はもっと余裕をもって行けということで。

でも、<strong>ひょんな出来事から福はある</strong>ということで･･････
以上、謎の時代祭に迫る！でした。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　編集者Ｙ


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   <title>【JIDAIMAP MEETINGおさらい】幕末・維新の基礎知識Part③　幕末事件簿</title>
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   <published>2009-10-19T11:48:27Z</published>
   <updated>2009-10-19T11:55:12Z</updated>
   
   <summary>大好評『幕末維新の基礎知識Ｐart3』！！！ときの大老・井伊直弼が結んだ通商条約...</summary>
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      <![CDATA[<strong>大好評『幕末維新の基礎知識Ｐart3』！！！</strong>ときの大老・井伊直弼が結んだ通商条約以降、日本ではさまざまな事件が勃発･･････。
尊王攘夷論が活発になる一方で、公武合体が図られ、これを断固阻止！の反幕府派“長州藩”を、推奨派の“会津”・“薩摩藩”が京から追い出そうと禁門の変、長州征討が発生･･･････。∑(o'д'o)!!

激動の幕末時代を動かした薩摩藩、長州藩、土佐藩とキーパーソンにググっと迫り、その後の日本の流れを大きく変えていった“薩長同盟”に切り込んで参りました。

<strong><strong>＞＞Chapter1　幕末を動かした劇アツ三藩をクローズアップ!!</strong></strong>

◎まずは西郷どん！こと西郷隆盛、大久保利通ら薩摩藩。
ザッツ九州男子！焼酎でお馴染み、藩は薩摩鹿児島＝現在の鹿児島市に置かれました。藩主は外様（関ヶ原の戦いの前後に徳川氏に臣従した大名）の島津氏･･････とまさしく、<strong>かゆいところに手が届く基礎知識</strong>。

もともとは朝廷と幕府を結びつける<strong>「公武合体論」</strong>に過激なまでの賛成派でしたが、「薩英戦争」で諸外国の脅威を学んだのち、<strong>西郷隆盛や大久保利通ら若い世代が台頭</strong>。<strong>「倒幕論」</strong>に鞍替え。

◎続いて、倒幕派の急先鋒・長州藩！！
ビビるさん敬愛の吉田松陰先生がつくった<strong>松下村塾</strong>は、<strong>高杉晋作や久坂玄瑞などといった人材を輩出し、幕府打倒にメラメラ･･････</strong>。幕府の「長州征討」により、一時は幕府に従う道を選ぼうとするも･･････ＮＯＮＯＮＯ！翌年高杉晋作の挙兵で藩士たちが発奮。長州藩は、<strong>完全な「倒幕論」</strong>へシフトチェンジ！！

◎最後に、初代藩主・山内一豊と妻・千代で知られる土佐藩。
時の権力は、「土佐勤王党」ががっつり握り、「藩を揚げての攘夷運動」が藩内に浸透。長州藩に次ぐ、攘夷派の藩として台頭しました。一時期は公武合体論に傾くものの、前藩主の山内容堂が15代将軍・徳川慶喜に大政奉還を進言し、これを実現しました。

<strong>ちなみに……薩摩（島津氏）、長州（毛利氏）の両藩は、いずれも関ヶ原の戦いでは、西軍についていた。そのため、討幕の芽はこの時の徳川家への恨みから芽生えていたとする説もあるとか････</strong>


<strong>＞＞Chapter2　なぜ、いがみ合う２つの藩がくっついたのか･･･龍馬の巧みな人心掌握策</strong>

さて、続いてクローズアップしたのは「薩長同盟」。薩摩藩と長州藩は禁門の変や長州征討で戦った仲なのに、ナゼゆえこの2藩がタッグを組んだのでしょう？「仲良くなるきっかけは」と、ずばり真相に。架け橋となったのは、薩摩・長州双方にツテのある、坂本龍馬と中岡慎太郎のお二方。長州藩は下関戦争の講和条件として武器の輸入を禁じられていたのですが、ここで坂本龍馬さんがお知恵を働かせます。薩摩藩名義での武器購入を斡旋するなど、日本初の商社・亀山社中を媒介としながら両藩を近づけていったそう。そして西郷隆盛と桂小五郎（木戸孝允）の両代表を会談させ、説得の末、見事に手を組ませることに成功！

その後は、同盟の内容はなどにも詳しく迫りました。薩長同盟が成立の地にも触れ、その場所は、上京区堀川通一条東入ル南側　市バスの「一条戻り橋」から徒歩すぐの所と言われるとこと。現在「小松帯刀寓居参考地」の石碑が建てられている場所だとか。

次週も、引き続き幕末・維新の基礎知識をお届けします。
来週は、フィナーレを飾るにふさわしい<strong>スペシャルゲスト・“やるせなすの石井康太さん“</strong>がご出演されます！！！何やら、伊豆下田でさまざまな情報を仕入れてくださったようで･･････
請う、ご期待くださいマセ！　m(_ _)m
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   <title>超希少イベントも！怒涛の特別展・特別拝観シーズンに突入！！！</title>
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   <published>2009-10-15T01:16:24Z</published>
   <updated>2009-10-15T01:47:00Z</updated>
   
   <summary>10月もいよいよ半ば。 さて、暑くもなく、寒くもなくあれやこれやとしたくなる、誠...</summary>
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      <![CDATA[10月もいよいよ半ば。

さて、暑くもなく、寒くもなくあれやこれやとしたくなる、誠にお日柄の良いこの季節、見計らったかのように、京都では名だたる社寺仏閣で秋の特別展・特別拝観が目白押しです。

なかには、超レアモノのイベント！もあるとあり、
今日はその中でも、編集部イチオシの情報をご紹介します。


<strong><a href="http://www.shorenin.com/gokaicho/index.html">初のご開帳　国宝・青不動明王</a>　
9月18日～12月20日（日）</strong>

激しく燃え盛る焔（ほのお）を背にした青不動明王が、画絹に描かれた「絹本着色 青不動明王二童子像」――。荘厳かつ華やかな同画は、日本三不動画の一つに数えられ、平安時代から厚く信仰されてきました。秘仏ゆえ、これまでほとんど一般での公開がされてこなかったのですが、なんとこの秋、初めて公開されることになったそうです。

<strong><a href="http://www.kenninji.jp/news/?p=93">秋の特別行事　「月夜の坐禅会」</a>
10月17日（土）　18時～　</strong>

静寂に満ちた月明かりの下、坐禅をする「月夜の坐禅会」。方丈前に広がる石庭、大雄苑を目の前にして坐します。坐禅の後は茶室「清凉軒」にて月夜の茶会が楽しめます。


<strong><a href="http://www.daikakuji.or.jp/event/09meihou/index.html">特別名宝展　嵯峨御所　大覚寺の名宝</a>　
10月1日（木）～12月6日（日）</strong>

「嵯峨天皇御即位1200年」と銘打ち、約半世紀ぶりに還座（げんざ）される重要文化財を含む、鎌倉から室町期作の「五大明王像」をはじめ、狩野派の障壁画などを堪能できます。澄んだ水鏡に紅葉などが映し出される大沢池のライトアップも見ものです。

<strong><a href="http://www.kunaicho.go.jp/20years/kyotogosho/kyotogosho.html">京都御所・秋季一般公開</a>　
11月1日（日）～11月10日（火）</strong>

毎年春・秋のみ行われる御所の一般公開。今年は御即位20年を記念し、紫宸殿、清涼殿、小御所等の例年の一般公開コースに加え、通常は非公開である皇后宮常御殿、飛香舎、若宮、姫宮御殿や朔平門が公開されます。

<strong><a href="http://www.doshisha.ac.jp/academics/institute/archives/kyutei.php">新島旧邸・秋季一般公開</a>
11月1日（日）～11月10日（火）</strong>
御所の秋季公開期間にあわせ、名門・同志社の創設者・新島襄が住んだ本人設計とも言われる木造二階建ての瀟洒な和洋折衷住宅が一般公開されます。昭和60年（1985）に京都市指定有形文化財に指定。

いかがでしょうか？
初めての国宝一般公開を始め、月明かりの下の坐禅会など、魅力的な催しばかり。
まだまだ紹介しきれないオススメの催しもありますので、また改めてご紹介しますね。

詳細は、ＨＰを確認して、是非ともお出かけしてはいかがでしょう？
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   <title>【JIDAIMAP MEETINGおさらい】幕末・維新の基礎知識Part②　幕末事件簿</title>
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   <published>2009-10-14T01:18:39Z</published>
   <updated>2009-10-14T03:18:27Z</updated>
   
   <summary>先週に引き続き、大好評の『幕末維新の基礎知識Ｐart2』！！！ お題は、開国後に...</summary>
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      <![CDATA[先週に引き続き、大好評の『幕末維新の基礎知識Ｐart2』！！！
お題は、開国後に起こった<strong>幕末事件簿</strong>です。

<strong>＞＞Chapter1　気になる『尊王攘夷』とは何ぞや？ そのきっかけは？</strong>

諸外国の圧力による、半ば強制的な開国でなすがままの日本。　そして時の大老・井伊直弼が結んだ通商条約は、諸藩からケンケンゴウゴウの大非難が勃発し、『<strong>尊王攘夷</strong>』思想がヒートアップ!!!
えらいことです、ニ ッ ポ ン！！！∑(・д・ﾉ)ﾉ

そもそも、尊王攘夷とは、なんぞやねん！？？　意外と、端的に説明できないクエスチョンから始まりました。尊王攘夷＝「尊王」と「攘夷」はそもそも別々の思想で

◎<strong>尊王</strong>＝社会秩序を維持するために、日本の統治者である天皇を尊ぶべきだという考え方
◎<strong>攘夷</strong>＝ごく簡単にいうと、外国人を排除すべき！という、今から考えるとちょっと過激な思想

この2つの思想が、がっつりミックスされ、誕生したのがズバリ「尊王攘夷論」。
何でひっついちゃったの？その流れを簡単にご説明しますと・・・

<strong>①</strong>ペリーさんが強引に開国を要求したことで、外国人への反発・・・「攘夷論」が高まり
<strong>②</strong>そこに幕府が天皇の許しを得ることなく、日米修好通商条約を締結したことで「尊王論」がヒートアップ

そしてめでたく<strong>マリッジ</strong>（？）☆とわけです。

「元々鎖国自体、幕府が独断でやったことですから、開国に異論が出るのは、幕府権力の弱体化を示しているんですね」　松岡編集長、いつもながら端的な〆めのお言葉です！

<strong>＞＞Chapter2　 尊皇攘夷派への大弾圧・粛清「安政の大獄」</strong>

さてさて、そんな反発の気運を、権力をもって抑えようとしたのが、井伊直弼。尊王攘夷派を一掃しようと、大弾圧「<strong>安政の大獄</strong>」を断行・・・。蟄居・謹慎、はては切腹・死罪・・・・・・。なんと、<strong>死罪8名、獄死・自殺者10名</strong>を出すという凄惨な事態に・・・・・・
<strong>ビビるさんがお慕いする、吉田松陰先生</strong>も、この弾圧事件により命を落とされてしまいます（＞＜。。。）

<strong>Chapter3＞＞大逆襲！桜田門外の変</strong>

安政の大獄で、反幕の気運は急降下すると思いきや・・・・・・逆に、ますますヒートアップ。<strong>そりゃ、皆さん黙ってませんわな。</strong>ついには、水戸藩・薩摩藩の藩士たちが井伊直弼の暗殺を決意。江戸城に登城する（つまり出勤ですね）井伊大老を、襲撃！井伊直弼は首を討たれ死亡してしまいます。<strong>幕府の重臣・・・今で言う、総理大臣が白昼に暗殺される</strong>というこのショッキングなニュースは、世間を騒がせ、幕府の権威はますます失墜・・・。
ちなみに、この事件で凶器の一つに使われたピストルは、なんとペリーが来航したときに幕府に贈呈されたものを模倣して作られたものだとか！！ 

この事件を皮切りに、尊王攘夷運動はますます活発化。「尊王攘夷論」が、反幕府派のスローガンにまでなります。ラジオでは、その後の、

▼新選組の誕生
▼皇族・和宮親子内親王と、第十四代・徳川家茂との結婚による「公武合体」政策
▼8・18の政変
▼池田屋事件
▼禁門の変

・・・・・・・など、皆さま、一度は聞いたことがある事件満載の、大混乱の事件簿トークに突入していきました。さまざまな思いが交差し、大きなうねりはいったいどこへ行くのか・・・。次週も、引き続き幕末・維新の基礎知識をお届けします。

必聴です！！！
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