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   <title><![CDATA[時代MAP&reg;　ブログ]]></title>
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   <updated>2012-02-03T02:29:21Z</updated>
   <subtitle>タイムトリップマップは、現代地図と歴史地図を重ねて見ることのできる新発想の地図です。</subtitle>
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   <title>☆NEWS☆　大注目の一押しHIP　HOP　BAND　【志摩参兄弟】　主催ライブ情報　＠京都MUSE</title>
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   <published>2012-02-03T02:20:24Z</published>
   <updated>2012-02-03T02:29:21Z</updated>
   
   <summary>みなさん今日は、毎日極寒の日々が続いてますね。この冬一番の冷え込みなんではないで...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jidaimap.jp/blog/">
      <![CDATA[みなさん今日は、毎日極寒の日々が続いてますね。この冬一番の冷え込みなんではないでしょうか？本日は、そんな寒さを吹き飛ばすとっておきのニュースをお知らせいたします。

皆さん、京都で活躍するHIP HOP BAND「<strong>志摩参兄弟</strong>」をご存じでしょうか？

志摩参兄弟とは、8人編成のHIPHOP BAND。なんとメンバーに、三味線を演奏する方がいらっしゃるんですよ。「和」をBLACK MUSICに落とし込むという独特の世界観をもち、ASAHI SUPER DRYが主催するオーディションライブでは見事全国一位、現在は海外公演も予定しているなど京都に留まらず世界にその音を響かせている超かっこいいバンドです。

さて、実はその志摩参兄弟のメンバーさんが歴史好きということで、親しくさせていただいているのですが、ヾ(*´∀`*)ﾉ　そんな彼らの熱～いイベントが、今週の2月5日の日曜日に開催されます！

イベント名は、
<strong>【APARTMENT JAM vol,2 】</strong>
2012/2/5(sun)@<a href=" http://www.arm-live.com/muse/kyoto/">京都MUSE</a>　
 
＜出演＞ 
椎名純平
DJ JIN 
iyco
妖怪うらに洗い
K-106
BESHALIST
DJ JORDAN

☆志磨参兄弟　／指定公開楽曲「火男~ひょっとこ~」☆


<strong>【以下、イベント概要より引用です☆】</strong>
京都で活動するHIPHOP BAND 志磨参兄弟とBESHALISTが共同主催するFUNK BAND PARTY
BLACK MUSICを背景としたアーティストが主要活動とする[CLUB]ではなくLIVE HOUSEでのライブ企画であり、CLUBに来た事がないまたは年齢制限でCLUBに入れないといった中高生の入場を無料にするなど幅広い層に上質の国産FUNK MUSICを聞いてもらおうといった趣旨で
２０１１／１０月にスタート。そして今回はその二回目を迎えスペシャルゲストに日本が生んだリアルソウルミュージシャン椎名純平（椎名林檎の実兄）を招聘し、ライブの合間を楽しませてくれる
DJに日本NO.1 HIPHOP CREW ライムスターのDJ JINをそえて満を持しての第二回目開催が決定。当日は普段夜中でしか見れないようなアーティストのLIVEに加え前売り券で入場された方に出演者のコラボレーション楽曲もプレゼント。もちろん前回に引き続き高校生以下は学生証提示で入場無料に（要ドリンク代500円）CLUBにあるイリーガルなパブリックイメージとは裏腹にここには熱気と笑顔とGOOD MUSICが詰まっているそんなイベントです。前記した様にまだCLUBに行った事がない学生さんも、夜中がキツくなってきてでもライブやDJではじけたい方にもきっと満足して頂けるイベントです。

※高校生以下来場無料（1drink\500）ご来場の際は学生証持参下さい。
※前売りチケットで来場の方には出演者のコラボレーション音源（CD-R）をもれなくプレゼント！

<strong>チケットの入手方法は、以下をチェック！</strong>
<a href="http://www.arm-live.com/muse/kyoto/">http://www.arm-live.com/muse/kyoto/</a>
今週日曜日2月5日　京都MUSEで17：00～開演です！
皆さん、日曜の夜は熱いライヴで盛り上がりましょう！

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   <title>「JIDAI MAP MEETING 　東京・愛宕山神社のよもやま話　（第180回　東京散歩・題して“ぶらゴルゴ”？“ゴル散歩”？at愛宕神社♪ part2　より）」</title>
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   <published>2012-01-19T09:09:48Z</published>
   <updated>2012-01-19T09:26:39Z</updated>
   
   <summary>先週のJIDAI MAP MEETINGは、番組始まって以来の初の東京でのおでか...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jidaimap.jp/blog/">
      <![CDATA[先週の<strong>JIDAI MAP MEETING</strong>は、番組始まって以来の初の東京でのおでかけロケの第二弾。愛宕神社から、歴史のあれやこれやをお届けしました。
ロケ風景の写真満載のレポートは、<a href="http://fm-kyoto.jp/blog/jidai_map_meeting/"><strong>こちら</strong></a>をご覧くださいませ。はじけてますね～（＾Ｏ＾）／

さて、<strong>東京の愛宕神社のある愛宕山</strong>は、京都市で一番高い愛宕山（標高924ｍ）に対し、<strong>標高26ｍ</strong>。でも、<strong>東京23区内で一番高い山</strong>なんだそうです。
そして、どういうわけかここだけ<strong>ポッコリ唐突に山</strong>になっていて、昔からその理由について様々に議論されてきました。
その説のなかの一つに、江戸城のお堀を掘った際に出た土を盛ったものではないかというものがありましたが、地質調査の結果、生粋の自然の山ということが証明されたということです。

この愛宕山、今のように高い建造物が乱立していない頃はとても見はらしのよい場所だったようです。江戸時代から明治時代にかけては、眺望◎の雪月花の名所として愛されていたのだとか。　

そんな愛宕山ですが、さまざまな歴史の出来事と関わりがあります。そのなかで、特に印象に残ったものをご紹介いたします。

<strong>＜井伊直弼を討った水戸浪士集結の場所だった＞</strong>
万延元年、３月３日。大老・井伊直弼を水戸浪士が討った歴史の教科書でもおなじみの桜田門外の変で、水戸浪士が集結したのはこの愛宕神社だったそうです。浪士たちは神社内の絵馬堂（現存せず）に集結し、祈願してから歩いて桜田門に向かったとか。

<strong>＜勝海舟、西郷隆盛の会談で・・・＞</strong>
世界史上の多くの革命が血と犠牲の上で行われたのに対し、勝海舟と西郷隆盛による江戸城の無血開城は世界に誇れる快挙です。 実はこの愛宕山は、無血開城に大きな役割を果たしていたのです。明治元年、３月１３日。両人は家康公ゆかりの当山に登り、江戸の町を見渡しました。そして、どちらから言い出すともなく、 
<strong>「この江戸の町を戦火で焼失させてしまうのはしのびない」</strong>と話し、ともに下山したそうです。そしてその後、無血開城の調印が行われたということです。

次回は、大河ドラマもはじまりました！「<strong>平清盛の基礎知識</strong>」の第一回目をお届けします。ゲストに、イケメン揃い！「<strong><a href="http://kobe-de-kiyomori.jp/team/">神戸・清盛隊</a></strong>」をゲストにお迎えしますので、乞うご期待下さいませ！
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   <title>「JIDAI MAP MEETING 　京都の皆さん、登らはりましたか？　（第179回　東京散歩・題して“ぶらゴルゴ”？“ゴル散歩”？at愛宕神社♪　より）」</title>
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   <published>2012-01-12T08:35:17Z</published>
   <updated>2012-01-12T08:46:20Z</updated>
   
   <summary>2012年最初のJIDAI MAP MEETINGは、“出世の階段”で有名な、東...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jidaimap.jp/blog/">
      <![CDATA[2012年最初のJIDAI MAP MEETINGは、“出世の階段”で有名な、東京港区の「愛宕神社」から、おでかけロケの模様をお送りしました。

ロケの様子は、<a href="http://fm-kyoto.jp/blog/jidai_map_meeting/">こちら／FM京都　α-station　JIDAI MAP MEETING</a>のブログをご参照くださいませ♪

さて、東京の愛宕神社とは、慶長８年（１６０３年）に徳川家康の命により江戸の防火の神様として祀られた神社です。標高約26mの小高い山で、昔は眺望の名所だったようですね。

しかし、愛宕神社といえば…京都人からすると、「<strong>愛宕さんは、京都の神社でっしゃろ！</strong>」と思わず主張したくなるところでは・・・？実際、京都の家では、かなりの確率でこの愛宕さんの火廼要慎の火伏札が台所に貼られています（火伏せ・防火に霊験のある神社のため）。そんなわけで、愛宕神社のある京都の愛宕山は、京都市でおそらく一番メジャーな山。一説では、京都人として生まれてきたからには、皆一度は絶対登っていると言われるくらいで、（といっても私、京都人ですが生まれてこのかた一度も登ったことがないという・・・・・・）我が母校（小学校）の校歌などでもなぜか登場していました。愛宕山からは結構遠かったのですが。

さて、そんな京都人が愛する？愛宕さんにまつわるトリビアをいくつかご紹介します。

・愛宕山に3歳までに参拝すると、<strong>一生火事にあわない</strong>という言い伝えがある。ゆえに、ほとんどの京都人は愛宕さんに一度は登ってるらしい。
・7月31日の夜～8月1日の早朝までにお参りすると、<strong>なんと1000日のお参りした分のご利益がある</strong>とか！（千日参り。尋常じゃないほどの登山客でにぎわうそうです）
・標高924ｍと京都市で一番高く、<strong>軽いハイキング気分で行くと痛い目にあう</strong>ため心してかかったほうがいい（実際、遭難者もでるような山なんですヨ・・・）

探すとまだまだ出てきそうですが・・・。
一度は、私も登ってみなければと思いました。
今週は、東京・愛宕山ロケの第二弾をお届けします！
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   <title>「JIDAI MAP MEETING 　京都の地名、いくつ読めますか?　（第178回　漢字で感じる一時間　より）」</title>
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   <published>2012-01-06T03:35:39Z</published>
   <updated>2012-01-06T03:45:35Z</updated>
   
   <summary>新年あけましておめでとうございます。 2012年を迎えましたね。昨年は震災などで...</summary>
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      <![CDATA[<strong>新年あけましておめでとうございます。</strong>

2012年を迎えましたね。昨年は震災などで忘れ難い一年になってしまいましたが、今年は皆が上向いていけるよい一年になるといいですね。
本年も、どうぞ宜しくお願いいたします。

さて、年末最後の<strong>JIDAI MAP MEETING</strong>はゴルゴさんお得意の「<strong>漢字</strong>」をテーマにお届けしました。
漢字の始まりから成り立ち、さらにゴルゴさん毎回恒例でお届けしている昨年一年の漢字を振り返る濃厚な一時間。<strong>「幸」「友」「助」「祝」「（感）謝」</strong>・・・さまざまな漢字が登場しましたが、振り返るとどれも前向きな言葉ですよね＾＾

さて、新年最初のブログは、漢字にちなんで、「京都のこの地名読めるかな?　クイズ」を皆さんにチャレンジ頂ければと思います。

<strong>【いくつ読めますか？？／答えは下にあります】</strong>
①一口　（久御山町）
②正親町　（上京区）
③御室　（右京区）
④雲母坂　（左京区）
⑤花結
⑥苦集滅道　（東山～山科に抜ける道）
⑦坤町　（西京区）
⑧物集女　（向日市）
⑨上蔵町　（左京区）
⑩不明門通　（北は松原通上ルの平等寺門前から、南は京都駅北の塩小路通まで）


<strong>【こたえ】</strong>
①一口　（いもあらい）　
②正親町　（おうぎちょう）
③御室　（おむろ）
④雲母坂　（きららざか）
⑤花結　（はなからげ）
⑥苦集滅道　（くずめじ）
⑦坤町　（ひつじさるちょう）
⑧物集女　（もずめ）
⑨上蔵町　（あぐらちょう）　
⑩不明門通　（あけずどおり）

「いもあらい」や「きららざか」なんて、知ってないと確実に読めませんよね（笑）
ちなみに、③の御室は京都の有名な企業「ＯＭＲON」の本社があった地で、同社の名前はここにちなんで名づけられたそうですよ♪

本日は、2012年第一回目の放送で、テーマは「<strong>関西の皆さんにオススメの東京歴史観光スポット</strong>」として、東京・愛宕神社からおでかけロケの模様をお届けします！

<strong>αステーション　89.4ＭＨｚ、本日夜21：00　ＯＮ　ＯＩＲ　「ＪＩＤＡＩ　ＭＡＰ　ＭＡＡＴＩＮＧ」。</strong>
乞う、ご期待下さい♪

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   <title>「JIDAI MAP MEETING 　正倉院、奇跡のたからもの　（第177回　正倉院　より）」</title>
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   <published>2011-12-27T03:19:20Z</published>
   <updated>2011-12-27T04:25:23Z</updated>
   
   <summary>いよいよ、本年も残すところあとわずかになりましたね。 毎日寒い日が続きますが、体...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jidaimap.jp/blog/">
      <![CDATA[いよいよ、本年も残すところあとわずかになりましたね。
毎日寒い日が続きますが、体調にはお気をつけて元気に新年を迎えてくださいね＾＾

さて先週の放送のテーマは「<strong>正倉院</strong>」。毎年、秋に奈良で「<strong>正倉院展</strong>」が開催され多くの来場者でにぎわいますよね。およそ1250年も前の宝物を目にできることは、まさに奇跡に近いという…

正倉院には光明皇后が東大寺に納めた夫・聖武天皇の遺品や、仏具、薬など、<strong>およそ9000件</strong>が保存されています。<strong>毎年その宝物の中から約70件</strong>が展示されるといいますが、仮に異なる宝物を出し続けたとしても全て見終わるには<strong>約128年（!!!）</strong>もかかってしまいます＾＾；　　相当なご長寿でも、難しいというか…未来の医療技術に期待です（汗）

さて、7世紀~8世紀にかけての、その当時最高のお宝が眠っている正倉院。それが、良好な状態で残されているといるわけですが、皆さんその中に国宝がいくつ含まれているかご存知でしょうか？実はたった「1つ」だけ。それも正倉院の建物のみ。中にあった宝物は国宝ではないんですよ。

そもそも、国宝とは国が文化財を守るために施行された法律「<strong>文化財保護法</strong>」によって、文部科学大臣がしているもの。しかし正倉院の宝物は本来天皇家の私物であり、宮内庁が十分な保護と管理をしているためにその指定を受けていないんだそうです。

ですが<strong>建物は例外</strong>。
正倉院は東大寺の境内にありながら、宮内庁の管轄でそれまで重文や国宝の指定ができなかったそうですが、「古都奈良の文化財」として正倉院を含むエリアが世界遺産の指定を受けたことを機に、国宝指定を受けるに至ったそうです。

され、少し話は最初に戻りますが…光明皇后は、聖武天皇の死後、天皇が大切にしていた品々を何一つ手元に残しませんでした。生前の夫が大切にした品であれば、手元に置いておきたいと思うのでは…？と思ってしまいましたが、その理由を献納したリストの最後に、「<strong>触目崩摧</strong>」＝目に触れてしまうと、悲しみのあまり崩れ摧（くだ）けてしまう。と記していたそうです。

それからおよそ1200年の時が流れ、都は移り変わり……戦後まもない昭和21年に第一回目の正倉院展は開催されました。
市民からの嘆願を受け入れての開催でしたが、信じられないほど多くの国民が押し寄せ大盛況となったそうです。

そして訪れた人々は、「生きる勇気が湧いた」と口々に語ったそうです。


今年ラストのJIDAI MAP MEETINGは、12月30日、テーマは「漢字」。
今年最後の締めくくりにふさわしい漢字にまつわるお話が満載です。

そして、2012年1月6日・13日は「関西の皆さんにおススメしたい東京歴史観光スポット」として、東京の「愛宕神社」から、おでかけロケを敢行いたします！ぜひぜひ、チェックしてくださいね！＾＾♪

2012年が、皆様にとって良き年になるよう、心からお祈り申し上げます。
来年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
ありがとうございました。
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   <title>「JIDAI MAP MEETING 　“お買いもの特使”がいた？　（第174回　遣唐使　part2　より）」</title>
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   <published>2011-12-02T03:36:54Z</published>
   <updated>2011-12-02T03:43:04Z</updated>
   
   <summary>師走に入ったのがまるでスタートダッシュのように、一段と寒くなりましたね～；； 先...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jidaimap.jp/blog/">
      <![CDATA[師走に入ったのがまるでスタートダッシュのように、一段と寒くなりましたね～；；
先日のJIDAI MAP MEETINGのトークテーマは、「<strong>遣唐使 part①</strong>」。奈良時代に、日本をさらに強くて進化した国にするべく、国家が派遣した外交使節たちです。

彼らは、過酷な海を渡り、大陸に到着したあとは唐の都まで<strong>1400km</strong>もの気が遠くなるような道のりを旅して各々に託された使命を果たしたわけです。長い旅路で、むろん辿りつけなかった人々、帰れなかった人々、途中で命を落としてしまった人々もたくさんいました。

この遣唐使は、630年の第一回遣唐使から894年に菅原道真の進言で廃止になるまでおよそ16回（回数については諸説あり）派遣をされているそう。

廃止前にはおよそ50年間遣唐使が派遣されなかった時期などもあったそうです。
ですが、実はこの間まったく交流がなかったわけではなかったそうで、<strong>買い物だけに派遣された下級役人や、互いに行き来する商人の船などもあった</strong>のだとか。
藤原家の依頼で高価な白檀の香木を買って帰った人物の記録も残っているそうです。

遣唐使の廃止については、唐の衰退による情勢不安でそれまで以上の危険を伴ってきたなど、さまざまな要因がありますが、↑のような現実もそれを後押しした理由のようです。

次回は、遣唐使のパート②をお届けします。
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   <title>「JIDAI MAP MEETING 　法隆寺のヒノキ、1300年目の真実　（第170回　聖徳太子　part2　より）」</title>
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   <published>2011-11-10T11:31:57Z</published>
   <updated>2011-11-10T12:06:12Z</updated>
   
   <summary>ここ数日で急に冷え込んできましたね～＾＾；　日中は半袖でも大丈夫？なくらいだった...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jidaimap.jp/blog/">
      <![CDATA[ここ数日で急に冷え込んできましたね～＾＾；　日中は半袖でも大丈夫？なくらいだったのに、突如コートの出番となり、なんだかおかしな感じだな～と思ってしまいます。こんなときは、体調も崩しやすいので皆さんお気をつけて下さいね。

さて、先週末の<strong>JIDAI MAP MEETINＧ</strong>は、聖徳太子のパート2をお届けしました。聖徳太子がナゼ、憲法十七条や冠位十二階を作ったのか…？その理由について番組では分かりやすくご紹介しました。

そんな聖徳太子の特集ということもあり、当方、聖徳太子関連の書物を手に取ってパラパラパラ…ふと、目についたのが<strong>法隆寺の建材についてのお話</strong>でした。
先日、ブログで<strong>清水寺の建材・欅（ケヤキ）</strong>のお話に触れましたが、鎌倉時代以降の社寺建築には通常この<strong>欅</strong>が使われていますが、それ以前は<strong>檜（ヒノキ）</strong>が使われているそうです。

理由は、工具の未発達で檜の二倍の強度のある欅を使うことができなかったためだそうですが、実は<strong>1300年の時を経て当初の姿を残す法隆寺にとって、この檜が使われたことがすごく重要な意味を持つ</strong>そうです。

というのは新材の時点では、欅は檜の二倍の強度があるそうですが、欅の劣化は檜よりも早く、数百年もしないうちに檜以下になってしまうそうです。

ところが、<strong>檜は用材となってから100～200年の間は却って強度がパワーアップ</strong>！<strong>その後徐々に弱っていくものの1000年たってようやく新材のころの強さにまで戻る</strong>そうです。

欅の寿命は清水寺のものでさえ1000年といわれています。
つまり、<strong>法隆寺に檜が使われなかったら、1300年間の風雪に建物が持ちこたえることができなかった</strong>というわけです。

当時の工人は、もちろん強い欅を使いたかったでしょうが、1000年たって初めて分かることもあるんですね＾＾；
ちなみに法隆寺の檜、あと700年は持つそうです。見た目は経年疲労があるように見えますが、数ミリ削ると檜特有の香りがするんだとか…<strong>木は、今も生き続けている</strong>んですね。

来週は、聖徳太子のパート3をお届けします！
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   <title>「JIDAI MAP MEETING 　日本にやってきた最初の仏像にまつわるちょっと切ないお話　（第169回　聖徳太子　part1　より）」</title>
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   <published>2011-11-04T11:36:10Z</published>
   <updated>2011-11-04T11:45:13Z</updated>
   
   <summary>10月ラストのJIDAI MAP MEETINGは、古代史のスーパーヒーロー・聖...</summary>
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      <![CDATA[10月ラストのJIDAI MAP MEETINGは、古代史のスーパーヒーロー・<strong>聖徳太子</strong>をクローズアップ！これから4週に渡り、聖徳太子特集ご紹介してまいります。

第一回目の放送内容では、聖徳太子の基礎知識として名前にまつわるあれこれや、聖徳太子最大の功「<strong>十七条憲法</strong>」と「<strong>冠位十二階</strong>」は何がきっかけだったのか（何が太子の心に火をつけたのか…）に切り込んでまいりました。

その中から、聖徳太子がそもそも歴史の表舞台に登場するきっかけとなった事件から、こぼれネタを一つご紹介します。

聖徳太子が歴史に登場するきっかけとなったのは「<strong>崇仏論争（すうぶつろんそう）</strong>」という事件でした。皆さん、歴史の教科書では一度は聞いたことあるのではないでしょうか？（いえ、私はさっぱり忘れていましたが）

この事件は、<strong>日本の昔からの神様を信仰する「物部さん」</strong>と、<strong>中国から伝来した先進国の仏教の受け入れを推進する「蘇我さん」</strong>が<strong>仏教の「排除」と「信仰」をめぐって対立した事件</strong>です。単に思想の対決に見えますが、実はこのいさかいの背景には二大豪族間の権力争いがあったといいます。
ちなみに、この時代の仏教は最新のテクノロジーのようなもので、というのも、仏教を受け入れることは先進国（唐／現在の中国）の最新の思想・文化・技術はもちろんその支配システムを取り入れることに繋がったためです。その最新流行を導入しようとしていたのが、大陸との繋がりの強かった蘇我さんで、聖徳太子はもともと蘇我さん一族の血縁者だったわけです。
そんなわけで、太子はその後、蘇我さんと推古天皇とともに冠位十二階や十七条憲法を制定して国政改革に取り組んでいくということなのですね。

仏教は、当時の事情を理解するのにはすごく大切な要素なのです。
ちなみに、<strong>そんな仏教に大切な「仏像」の日本初来日の記録</strong>を皆さんご存知でしょうか？
それは……実はですね……

なんと<strong>「川に捨てられた」</strong>のでした；

なぜかというと、崇仏論争で怒り狂った物部さんが、物部さんにとっては邪魔者でしかない日本初来日の仏像を川に捨ててしまったそうです。そんなやり取りをしているうちに、仏像は難波（現・大阪）の堀江（池）にて発見され、その仏像は現在、長野県の善光寺に秘仏として大切に保存されているのだとか（住職さんも目にできないそうです）。この仏像様を模した前立本尊は、7年に一度の公開で、最近は平成21年に開帳されたばかりだそうです。

次回は、聖徳太子のpart2をお届けします。
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   <title>「JIDAI MAP MEETING 　備えあれば憂いなし！？清水の舞台に秘められた壮大な物語（第167回　794うぐいす平安京の謎　より）</title>
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   <published>2011-10-20T08:22:14Z</published>
   <updated>2011-10-20T08:28:00Z</updated>
   
   <summary>先週のJIDAI MAP MEETINGは、「794うぐいす平安京の謎」と題しま...</summary>
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      <![CDATA[先週のJIDAI MAP MEETINGは、「<strong>794うぐいす平安京の謎</strong>」と題しまして、平安京の始まりにまつわるあれこれをご紹介しました。

その中で、「平安京は巨大な怨霊封じの巨大システム都市だった！」というエピソードの中で、話題は<strong>将軍塚から→坂上田村麻呂→清水寺</strong>へ。
「清水の舞台から飛び降りる」ということわざを残すほどの威容を誇る清水の舞台の構造のお話となりました。
急な崖の上に築かれた欅造りの建築物…ビルの４階建てに相当…410枚以上のヒノキ板を敷き詰めた…と舞台にまつわるプロフィールがどんどん披露されていきます。

なるほど、あれほど大規模な建築物にもかかわらず、釘を一本も使っていない高度な建築技術といい、<strong>清水寺スゴイ！</strong>と思われたみなさんも多いハズ。

<strong>しか～し！</strong>
未だ清水の舞台にまつわる壮大な物語を、ご存じない方も多いはず。
このブログをご覧の方に、特別にご紹介いたします＾O＾/ 

現在の清水の舞台が再建されたのは、今から約400年前の江戸時代、寛永10年（1633）のことでした。柱には樹齢400年以上の欅が使われているのですが、柱材としてのこの欅の寿命は大体1000年くらいだといいます。
さて、<strong>ということは今から約600年後に向けて、この立派な柱の代わりが必要になるということですよネ？？</strong>森林資源の危機が叫ばれている現在、1000年耐えうる柱を探すのはきっときっと一苦労のハズ……大丈夫なのかな…？と思いきや…

<strong>なんと清水寺さん、府内にある寺有林で欅を育て、来る600年後に備えているそうです！</strong>今から遠い未来のために、何世代もの人たちがバトンをつないで大切に育んでいくのです…。多くの命と思いが宿る1000年生きる樹。なんとも、壮大なお話だと思いませんか？＾＾
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   <title>「JIDAI MAP MEETING 　相撲の四股のルーツは陰陽師にあった？（第164回　安倍晴明　Part1　より）</title>
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   <published>2011-09-29T09:49:27Z</published>
   <updated>2011-09-29T09:56:03Z</updated>
   
   <summary>先週の「JIDAI MAP MEETING」は安倍晴明のパート1をお届けしました...</summary>
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      先週の「JIDAI MAP MEETING」は安倍晴明のパート1をお届けしました。ゲストは、歴史に詳しい今泉さん。前半戦として「陰陽師とはそもそもなんぞや？」というお話に花が咲きました。
そんな歴史トークに耳を傾け、ふと思い出したのは陰陽師が使った呪術や儀式について。そういえば、現代にも残っているものがあるんですよね。その一つが、お相撲さんの四股。

相撲といえば、関脇・琴奨菊が大関昇進を果たし、最近暗かった相撲界にも少し明るいニュースがやってきましたね。取り組み前の、四股を踏む勇ましい姿に感じ入っていた方も多いのではないでしょうか？

早速、四股のルーツを簡単にご紹介したいと思いますが、力士は土俵に上がると大きく2度四股を踏みます。四股には邪気払いの力があるとされ、清めの意味があるそうです。

四股を踏む方法は、両足を左右に開いて膝を曲げて腰を落とし、手を膝に添え、足を交互に高く上げて下ろす。気軽にやっているように見えますが、この四股は実際やると相当きつい（！！！）らしく、ふらつかずに美しく踏むまでには相当な稽古が必要だそうです。
一度、皆さんもチャレンジしてみてくださいね＾O＾

さてさて、少々遠回りしていますが、四股のルーツについて。そもそもこの四股を踏む所作は、反閇（へんばい）という陰陽師が執り行った邪気払いの儀式が元にあるようです。
天皇・皇族・貴族たちが初めての場所に行く、新居へ入居する、移転するといった際に陰陽師がその場の邪気を祓うため反閇を行ったのですが、そのなかの一つに呪文を唱えながら「禹歩（うほ）」という独特のステップを踏む作法がありました。
地を踏みしめて、浄化させるという意味のようです。このあたりの名残が、現在の四股に残っているのではないでしょうか。

次回は、安倍晴明のpart2をお送りします。

      
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   <title>「JIDAI MAP MEETING 　富士山はいつから日本一なのか？（第161回　富士山の歴史　より）</title>
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   <published>2011-09-15T02:01:51Z</published>
   <updated>2011-09-15T02:07:55Z</updated>
   
   <summary>秋めいて来たかと思ったら、また夏の暑さがぶりかえしましたね。 でも夜には涼しくな...</summary>
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      秋めいて来たかと思ったら、また夏の暑さがぶりかえしましたね。
でも夜には涼しくなるので、金晩は夜風で涼みながらラジオの前で歴史談義に耳を傾けるのもオツなものではないでしょうか？

さて、今回のトークテーマは富士山の歴史。富士山、人気ですよね。先般、ゴルゴさんも奥様と一緒に登頂されたのだとか。

そんなゴルゴさんの富士山登頂トークが噴火？した当番組では、名前の由来、計測記録にまつわるお話などなど、知りたい、聞きたい、富士山にまつわるエトセトラをご紹介しました。

しかし個人的に、番組でご紹介した話題以外で、ふと気になったことがあるので本日のブログではそれについて書かせていただきたいと思います。

個人的な謎とは・・・
「富士山は、いつから日本一とわかったんだろう？」　

現在、記録として正確な3776ｍは1926年、昭和元年に計測されたものです。それ以前にも、1803年の伊能忠敬などが計測をしています。

しかし、富士山は、昔っから日本一でした。
あらゆる技術が進んだ現在なら当たり前のことですが、日本人の認識のなかでいつからかNO.1だったのです。一応、ざっと調べてみたことろ、古い記録では「竹取物語」にその記述が見られます。
物語の最後に、帝は月に帰ってしまったかぐや姫からもらった「不死の薬」や「恋文」などを帝は駿河にある日本一高い山で焼くように命じます。そして、そこから不死の山に煙が上り、以降不死の山に煙が絶えることはなくなった・・・とあるそうなのです。

竹取物語は、時代にして奈良時代～平安時代あたりの成立らしいのですが、そんなときから認識としてあったとは…いやはや、驚くべきお話です。
ちなみに、正式にいつからか？というのはやはり分かりませんでした＾＾；

来週は、服部半蔵に迫ります！

      
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   <title>「JIDAI MAP MEETING 　暴れん坊のこぼれネタ＆芸どころ名古屋について（第157回　徳川吉宗vs徳川宗春　より）</title>
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   <published>2011-08-10T05:03:42Z</published>
   <updated>2011-08-10T05:11:22Z</updated>
   
   <summary>JIDAI MAP MEETING　ついに3周年を迎えました。3周年・・・振り返...</summary>
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      <![CDATA[JIDAI MAP MEETING　ついに3周年を迎えました。3周年・・・振り返ってみると本当にあっという間！
<strong>自分の人生においてラジオで話す日々がくるなんて、全くの想定外だった松岡編集長が実は一番ビックリしているかもですが・・・（笑）</strong>
この春からはゴルゴ松本さん、えとう窓口さんをお迎えし、新たなスタートを切らせていただいたJIDAI MAP MEETING。皆さんこれからも金晩、ともに歴史旅行をお楽しみください。

さて、そんな三周年を迎えた放送回ですが、お題は<strong>【徳川吉宗vs徳川宗春　part1】</strong>をお送りしました。
徳川吉宗さまといえば、皆さんお馴染みの「暴れん坊将軍」のしんさんです。チャーチャチャーチャラーララー…と浜を白い馬に乗って走る駆ける凛々しいお姿は、今から思えば私の初恋であったように思います＾＾///

ちなみに、この撮影は海ではなく<strong>京都の大沢池</strong>で行われたらしいです。
劇中「江戸城」として登場する天守閣は国宝姫路城。城内のシーン（鯉などに餌をやるシーンなど・・・）国宝・彦根城の玄宮園池畔で行われることもあったそうな。案外、関西圏なんですね（笑）

さて、そんな吉宗さまらを主役にしたトークテーマの内容について。<strong>国家経営の危機に、享保の改革など質素倹約を奨励し、しっかり世をまとめた将軍様・吉宗と、それとは全く正反対の政策で対抗した尾張藩主・宗春さまの物語</strong>です。

宗春さまは将軍吉宗による倹約令の中、祭りや芝居などあらゆる芸能文化を積極的に推進し、尾張・名古屋を大いに盛り上げた藩主様。派手好き、初のお国入りは歌舞伎役者のようなファッション、そのときは国を挙げて禁止していた遊郭を作ったなど武勇伝は数多いですが、ただの派手好きだったからなのではなく・・・番組では、その行動の奥のほうまで探っております。

ちなみに、現在も名古屋は芸事（習い事）が盛んで、市民が家計の習い事にかける出費学の高さは、この宗春さまの政策あたりがルーツとされているそうな。
浅田真央ちゃんも、安藤美姫さんも、ピアノ・バレエ・水泳など数々の習い事の経験者らしいです。そのなかで、スケートが世界レベルになったということなのかな。
ちなみに、伝統芸能の愛好家も半端なく、自宅に個人が作った能舞台が名古屋市内だけでも10近くあるそうな・・・恐るべし、名古屋です。

次週は、吉宗vs宗春　パート②をお送りします！
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   <title>「JIDAI MAP MEETING 　回転寿司の始まり話（第156回　江戸の暮らしパート②より）</title>
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   <published>2011-08-03T01:10:34Z</published>
   <updated>2011-08-03T01:21:38Z</updated>
   
   <summary>先週の放送は、江戸の暮らしpart2をお届けしました。 話題の中心は、江戸っ子た...</summary>
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      <![CDATA[先週の放送は、江戸の暮らしpart2をお届けしました。
話題の中心は、江戸っ子たちの食生活について。<strong>人気のおかず番付や、お献立、江戸の外食産業のお話</strong>までJIDAI MAP MEETINGらしい切り口でお届けしました。

さて、そんな中で話題になっていた<strong>寿司</strong>について。今で言う握り寿司の元祖のことです。そんな寿司も江戸の外食産業の一つとして登場しました。ちなみにどうして江戸で外食産業が発展したのかといえば、<strong>江戸には地方から職を求めてやってくる独身男性が多く、自炊が無理なそんな彼らのニーズに応える形で誕生</strong>したようです。

江戸で生まれた<strong>外ごはん</strong>のラインナップは、<strong>ソバや天ぷら、寿司、鰻</strong>などなど、いまでも外食で人気のものばかりですよね（驚）今に息づく、ニッポン外食フードの代表格、現る！です。

ちなみに、今日注目したい寿司について。もともとの寿司は滋賀県の鮒寿司のように、発酵させて頂く保存食として誕生しました。現在の握りは江戸時代後期に考案されたものです。江戸本所の華屋与兵衛さんという人のアイデアらしいのですが、酢飯を一個づつ握って、その上に刺身を乗せて売り出したと…。
手軽で、現在のファーストフードみたいな感覚なんでしょうか？当時の寿司は、めっちゃでかかったそうです。

ちなみに、そんな風に手軽に……というニーズに応える形で進化したのは、現在の<strong>回転寿司</strong>かも知れませんね。

<strong>回転寿司が最初に誕生したのは1958年、東大阪市の近鉄・布施駅前で「回る元禄寿司」というのが最初のよう</strong>です。ちなみに、当時のキャッチコピーは、「人工衛星・廻る寿司」（……一体…；）だったのだとか。

考案者は、大阪の寿司職人・白石義明さんという人で、高級料理の代名詞の寿司を、手頃に安く食べることはできないか？という思いで発明に至ったそう。つまるところ、安い値段で寿司を提供しようと思ったら、人件費をどうにかして削減しなければいけないという問題にぶち当たり、回転寿司のシステムが考案されたようです。

その斬新なアイデアは、大阪人の気性にあったのか…徐々に人気がでるものの、なかなかブレイクはしなかったようです。しかし、その後、<strong>大阪万国博覧会</strong>で出店されることとなり、この万博出店を機に一躍脚光を浴びるようになったそうです。

ちなみに回転寿司についてもう一つ。回転寿司のコンベアの回り方は、9割の店が右回りらしいですが、これは日本に右利き（もしくは効き目が右という説も）の人が多いためだそうです。
ためしに、左回りで回転させてみたところ、なんと売り上げは3割もダウンしたのだとか・・・。

次週は、本当の暴れん坊はどっち！？徳川宗春vs徳川吉宗に迫ります。
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   <title>「JIDAI MAP MEETING 　多摩川のアユ物語（第155回　江戸の暮らしパート①より）</title>
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   <published>2011-07-27T11:06:03Z</published>
   <updated>2011-07-27T11:14:50Z</updated>
   
   <summary>先週のJIDAI MAP MEETINGは、水戸黄門様に続き、「江戸の暮らし」を...</summary>
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      <![CDATA[先週のJIDAI MAP MEETINGは、水戸黄門様に続き、「江戸の暮らし」をクローズアップ。これまでも何度か城下町・大江戸のエコな暮らしぶりをご紹介して参りましたが、江戸って本当に凄い都市だったんですよ。

当時にしては最先端の「世界一の水道システム」…地中に張り巡らされた「木樋(もくひ)」という木製の細長い管を通して江戸市中に水を送っていましたし、上水道と同じく、下水道も整備・管理されていました。例えば、長屋の井戸端で流した汚水は、長屋の路地の真ん中に掘られた下水道に流れ込み堀や川へ流れる。その時、吐き出し口に柵(さく)を設けて、ゴミが一緒に流れ込まないようにしていたそうです。

現代とは違い、洗剤や油が下水に流れる事はほとんどなかったため、下水に含まれる栄養分で海にはプランクトンが増え、江戸前といわれる東京湾の魚が豊富になったそう。
ちなみに人間の排泄物は、畑への肥料として農家さんに売っていました。100万人の江戸住民は、化学肥料に換算して年間五万トンもの肥料を生産していた計算になるそうです。そして、ナチュラルな農作物育成のエネルギーを生み出していたのです。

他にも、紙くずを拾い集める職業もありましたし（再生資源として使われました）、それよりもっと作るのが大変な金属類の回収は徹底的に行われていたそう。社会全体で、高度なリサイクルシステムを構築していたんですね。

それから、百数十年……社会のありようは随分と変化し、当時の暮らしを知るよすがはほとんどありませんが、ひとつニュースで面白い話題を発見しました。

多摩川の<a href="http://www.townnews.co.jp/0205/2011/07/15/111426.html">天然アユが念願の商品化</a>をしたそうです。多摩川といえば、タマちゃんを思い出しますが、かつて多摩川でとれるアユは、将軍に献上されるほどの高級品だったのだとか。高度経済成長期に入ってからは、多摩川は「死の川」と呼ばれるほど魚が激減した時代があったそうですが、下水処理技術の向上や環境への意識から徐々に回復したそう。
そして、清流に棲むアユは平成2年ごろから増加し始めて、今年は220万尾！の稚魚の遡上が確認されたのだとか…。
多摩川でアユが取れるんですねえ…東京の川だから、まさか清流に棲む魚がいるとは思っていませんでした。これにはもちろん、多摩川のアユを増やそうと活動する人々の活動の成果でもあります。その他にも、ボラやすじえび、うなぎなど様々なお魚が生息しているそうです。

ちなみに、先ほどお話した江戸の世界一の水道システムですが、水はこの多摩川から引いていました。そんなわけで、木製の水道管を通って流れてくる水をつるべに汲んだとき、水と一緒に流れてきてしまったアユが紛れ込んでいることもあったのだとか。
あたった人は大喜びだったそうですが、なんだか真夏にこんなお話を聞くと、少し涼しく、そして心はほっこりと暖かくなりますよね。

次回は、江戸の暮らしパート②をお送りします。
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   <title>「JIDAI MAP MEETING 　水戸黄門様の一大事業（第154回　水戸黄門の真実パート②より）</title>
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   <published>2011-07-19T11:27:29Z</published>
   <updated>2011-07-19T11:47:53Z</updated>
   
   <summary>黄門様放送終了の衝撃ニュース発表と、寄寓にも同日放送だった「JIDAI MAP ...</summary>
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      <![CDATA[黄門様放送終了の衝撃ニュース発表と、寄寓にも同日放送だった「JIDAI MAP MEETING」。水戸黄門様の真実に迫る！のパート2は、黄門様の一大事業をご紹介しました。そんなパート2のダイジェストをざっと辿ると。

<strong>「風車弥七の墓がある！？」</strong>
モデルになった人が実在したそうです。

<strong>「黄門様、歴史書を編纂する」</strong>
日本の歴史書の大編纂事業。黄門様30歳のころに始まって以降、水戸藩の事業として250年にわたり引き継がれ、明治時代に完成しました。

<strong>「グルメ王・水戸黄門様の手打ちうどん」</strong>黄門様は、実は相当なグルメ。とくにうどんは大好物で、江戸の職人に師事して、自ら打てるほどの腕前になったのだとか…。日本で最初にラーメンを食べた人であったとも。

<strong>「黄門様の蝦夷地（北海道）探検」</strong>
蝦夷地とは、北海道のこと。光圀はその広い国際的関心からか、蝦夷地の産物や天然資源に関心を寄せ、その入手を図ったのであろうと推測されているそう。光圀は蝦夷地探検で水戸の米と引き換えに、2万本の生ザケ、熊やラッコ、トドの皮を持って帰ってきたとか。

ちなみに、この蝦夷地探検の目的は他にもあったという説も。中世の源義経や武蔵坊弁慶のその後を追跡するというものだそうです。その理由が、蝦夷地には<a href="http://www.town.suttu.lg.jp/kannkoujyouhou/benkeimisaki.html">弁慶岬</a>など、彼らの名にまつわる地名が存在すること、彼らにちなんだ伝説が複数存在することなどが根拠だそうです。

ほか、伝説として語り継がれているお話に、義経一行は奥州からひそかに蝦夷地へ抜けて、北方でチンギス＝ハンとして活躍したとかいうのも時々聞きますよね。

なんとも、想像の翼が広がるお話です。光圀は、一体どんな想像を羽ばたかせ、この蝦夷地探検を指示したのでしょうか。

来週は、江戸の暮らしをクローズアップします。
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