2011/12/27

「JIDAI MAP MEETING  正倉院、奇跡のたからもの (第177回 正倉院 より)」

いよいよ、本年も残すところあとわずかになりましたね。
毎日寒い日が続きますが、体調にはお気をつけて元気に新年を迎えてくださいね^^

さて先週の放送のテーマは「正倉院」。毎年、秋に奈良で「正倉院展」が開催され多くの来場者でにぎわいますよね。およそ1250年も前の宝物を目にできることは、まさに奇跡に近いという…

正倉院には光明皇后が東大寺に納めた夫・聖武天皇の遺品や、仏具、薬など、およそ9000件が保存されています。毎年その宝物の中から約70件が展示されるといいますが、仮に異なる宝物を出し続けたとしても全て見終わるには約128年(!!!)もかかってしまいます^^;  相当なご長寿でも、難しいというか…未来の医療技術に期待です(汗)

さて、7世紀~8世紀にかけての、その当時最高のお宝が眠っている正倉院。それが、良好な状態で残されているといるわけですが、皆さんその中に国宝がいくつ含まれているかご存知でしょうか?実はたった「1つ」だけ。それも正倉院の建物のみ。中にあった宝物は国宝ではないんですよ。

そもそも、国宝とは国が文化財を守るために施行された法律「文化財保護法」によって、文部科学大臣がしているもの。しかし正倉院の宝物は本来天皇家の私物であり、宮内庁が十分な保護と管理をしているためにその指定を受けていないんだそうです。

ですが建物は例外
正倉院は東大寺の境内にありながら、宮内庁の管轄でそれまで重文や国宝の指定ができなかったそうですが、「古都奈良の文化財」として正倉院を含むエリアが世界遺産の指定を受けたことを機に、国宝指定を受けるに至ったそうです。

され、少し話は最初に戻りますが…光明皇后は、聖武天皇の死後、天皇が大切にしていた品々を何一つ手元に残しませんでした。生前の夫が大切にした品であれば、手元に置いておきたいと思うのでは…?と思ってしまいましたが、その理由を献納したリストの最後に、「触目崩摧」=目に触れてしまうと、悲しみのあまり崩れ摧(くだ)けてしまう。と記していたそうです。

それからおよそ1200年の時が流れ、都は移り変わり……戦後まもない昭和21年に第一回目の正倉院展は開催されました。
市民からの嘆願を受け入れての開催でしたが、信じられないほど多くの国民が押し寄せ大盛況となったそうです。

そして訪れた人々は、「生きる勇気が湧いた」と口々に語ったそうです。


今年ラストのJIDAI MAP MEETINGは、12月30日、テーマは「漢字」。
今年最後の締めくくりにふさわしい漢字にまつわるお話が満載です。

そして、2012年1月6日・13日は「関西の皆さんにおススメしたい東京歴史観光スポット」として、東京の「愛宕神社」から、おでかけロケを敢行いたします!ぜひぜひ、チェックしてくださいね!^^♪

2012年が、皆様にとって良き年になるよう、心からお祈り申し上げます。
来年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
ありがとうございました。

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2011/12/02

「JIDAI MAP MEETING  “お買いもの特使”がいた? (第174回 遣唐使 part2 より)」

師走に入ったのがまるでスタートダッシュのように、一段と寒くなりましたね~;;
先日のJIDAI MAP MEETINGのトークテーマは、「遣唐使 part①」。奈良時代に、日本をさらに強くて進化した国にするべく、国家が派遣した外交使節たちです。

彼らは、過酷な海を渡り、大陸に到着したあとは唐の都まで1400kmもの気が遠くなるような道のりを旅して各々に託された使命を果たしたわけです。長い旅路で、むろん辿りつけなかった人々、帰れなかった人々、途中で命を落としてしまった人々もたくさんいました。

この遣唐使は、630年の第一回遣唐使から894年に菅原道真の進言で廃止になるまでおよそ16回(回数については諸説あり)派遣をされているそう。

廃止前にはおよそ50年間遣唐使が派遣されなかった時期などもあったそうです。
ですが、実はこの間まったく交流がなかったわけではなかったそうで、買い物だけに派遣された下級役人や、互いに行き来する商人の船などもあったのだとか。
藤原家の依頼で高価な白檀の香木を買って帰った人物の記録も残っているそうです。

遣唐使の廃止については、唐の衰退による情勢不安でそれまで以上の危険を伴ってきたなど、さまざまな要因がありますが、↑のような現実もそれを後押しした理由のようです。

次回は、遣唐使のパート②をお届けします。

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