2011/09/29

「JIDAI MAP MEETING  相撲の四股のルーツは陰陽師にあった?(第164回 安倍晴明 Part1 より)

先週の「JIDAI MAP MEETING」は安倍晴明のパート1をお届けしました。ゲストは、歴史に詳しい今泉さん。前半戦として「陰陽師とはそもそもなんぞや?」というお話に花が咲きました。
そんな歴史トークに耳を傾け、ふと思い出したのは陰陽師が使った呪術や儀式について。そういえば、現代にも残っているものがあるんですよね。その一つが、お相撲さんの四股。

相撲といえば、関脇・琴奨菊が大関昇進を果たし、最近暗かった相撲界にも少し明るいニュースがやってきましたね。取り組み前の、四股を踏む勇ましい姿に感じ入っていた方も多いのではないでしょうか?

早速、四股のルーツを簡単にご紹介したいと思いますが、力士は土俵に上がると大きく2度四股を踏みます。四股には邪気払いの力があるとされ、清めの意味があるそうです。

四股を踏む方法は、両足を左右に開いて膝を曲げて腰を落とし、手を膝に添え、足を交互に高く上げて下ろす。気軽にやっているように見えますが、この四股は実際やると相当きつい(!!!)らしく、ふらつかずに美しく踏むまでには相当な稽古が必要だそうです。
一度、皆さんもチャレンジしてみてくださいね^O^

さてさて、少々遠回りしていますが、四股のルーツについて。そもそもこの四股を踏む所作は、反閇(へんばい)という陰陽師が執り行った邪気払いの儀式が元にあるようです。
天皇・皇族・貴族たちが初めての場所に行く、新居へ入居する、移転するといった際に陰陽師がその場の邪気を祓うため反閇を行ったのですが、そのなかの一つに呪文を唱えながら「禹歩(うほ)」という独特のステップを踏む作法がありました。
地を踏みしめて、浄化させるという意味のようです。このあたりの名残が、現在の四股に残っているのではないでしょうか。

次回は、安倍晴明のpart2をお送りします。

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2011/09/15

「JIDAI MAP MEETING  富士山はいつから日本一なのか?(第161回 富士山の歴史 より)

秋めいて来たかと思ったら、また夏の暑さがぶりかえしましたね。
でも夜には涼しくなるので、金晩は夜風で涼みながらラジオの前で歴史談義に耳を傾けるのもオツなものではないでしょうか?

さて、今回のトークテーマは富士山の歴史。富士山、人気ですよね。先般、ゴルゴさんも奥様と一緒に登頂されたのだとか。

そんなゴルゴさんの富士山登頂トークが噴火?した当番組では、名前の由来、計測記録にまつわるお話などなど、知りたい、聞きたい、富士山にまつわるエトセトラをご紹介しました。

しかし個人的に、番組でご紹介した話題以外で、ふと気になったことがあるので本日のブログではそれについて書かせていただきたいと思います。

個人的な謎とは・・・
「富士山は、いつから日本一とわかったんだろう?」 

現在、記録として正確な3776mは1926年、昭和元年に計測されたものです。それ以前にも、1803年の伊能忠敬などが計測をしています。

しかし、富士山は、昔っから日本一でした。
あらゆる技術が進んだ現在なら当たり前のことですが、日本人の認識のなかでいつからかNO.1だったのです。一応、ざっと調べてみたことろ、古い記録では「竹取物語」にその記述が見られます。
物語の最後に、帝は月に帰ってしまったかぐや姫からもらった「不死の薬」や「恋文」などを帝は駿河にある日本一高い山で焼くように命じます。そして、そこから不死の山に煙が上り、以降不死の山に煙が絶えることはなくなった・・・とあるそうなのです。

竹取物語は、時代にして奈良時代~平安時代あたりの成立らしいのですが、そんなときから認識としてあったとは…いやはや、驚くべきお話です。
ちなみに、正式にいつからか?というのはやはり分かりませんでした^^;

来週は、服部半蔵に迫ります!

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