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2011/03/22
「JIDAIMAP MEETING いつから武士の親分に!!?征夷大将軍について(第137回 戦国時代の基礎知識part4 より)」
先週のJIDAI MAP MEETINGは、戦国時代の基礎知識part4!!最終回は、狸親父?の異名もちらほら・・・「徳川家康」を中心に戦国時代の流れを辿りました。トークの中で家康は「征夷大将軍」になって、実質的な権力者になったとお伝えしましたが、そもそも征夷大将軍とは何者か?を今週のブログではお伝えいたします。
もともと「征夷大将軍」という職名が誕生したのは、奈良時代のこと。坂上田村麻呂・・・と聞けばピーンと来る人もいるのではないでしょうか?(日本史で最初に出てくる相当インパクトのある人名のため)そんなプチ有名人な坂上さんは、当時蝦夷(えみし)と呼ばれていた人々を平定するために朝廷から使わされた大軍のリーダーに抜擢されました。そのポストが「征夷大将軍」というわけです。
さて、この頃はまだ「征夷大将軍」の意味は、「蝦夷を平定する大将軍」。しかし、家康さんの持つ征夷大将軍の意味は、「武門の棟梁(武士の親分)」です。
「征夷大将軍」の系譜は、坂上田村麻呂・・・源頼朝・・・足利尊氏・・・そして徳川家康らが有名ですが、武門の棟梁という色合いになったのは(一説では)、ほんのわずかな間だけ「征夷大将軍」になることができた木曽義仲(源義仲)のときなのです。1180年に兵士討伐のために挙兵した木曽義仲は、平家を制圧し、一躍武家の頂点を手に入れます。そんな義仲さんは後白河法皇に圧力をかけて自らを「征夷大将軍」に任命させました。平氏・源氏を押さえる「武士のトップ」です。
しかし、義仲を相当うっとうしく思っていた後白河法皇は、義仲に平氏追討を命じている間に源頼朝と結託して、彼を追い落としてしまいます。そして、頼朝をトップにした源氏が権力を掌握し、頼朝が「征夷大将軍」となり、後に鎌倉幕府を開府するに至るのです。(頼朝が武門の棟梁の始まりという説もあります)
家康の征夷大将軍は、この源氏から始まった「武門の棟梁」としてのポストを継承しているものなのです。
ちなみに、一説では「征夷大将軍は源氏の筋でないとなれない」といわれおります。家康は源氏の系譜を受け継ぐものとして就任を認められたそうですが、ほんとはこれは「家康のガセ」というお話もあるのです。そして、さらに一説では秀吉は「源氏の系譜」とは明らかに違うから、「征夷大将軍」になれなかったとか何とか・・・
このあたりが本当ならば、狸親父の本領発揮といったところなのでしょうか。
2011年03月22日 19:11
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