2011/02/28

【JIDAIMAP MEETINGおさらい】~全4週で放送~戦国時代の基礎知識part1!

相変わらず戦国時代がアツいですね。NHK大河ドラマ「お江」も戦国時代のあたりを放送してますね。展開がメルヘンすぎる、という声もあるようですが、今のところ毎週かなり楽しみに見ています。トヨエツの織田信長とか・・・時任三郎さんの浅井長政とか・・・萩原正人さんの石田三成とか・・・笑
先週は、大地康雄さんの柴田勝家にキャッ/(>ω<)/となっていました。父上!

そんなブームに乗るように?JIDAIMAP MEETINGでは、4週にわたり「戦国時代の基礎知識」シリーズを放送中!戦国時代の始まりから、信長、秀吉、家康の時代までを辿っていきます。この放送を聴いて戦国時代の流れを掴んで、2011年の戦国ブームをお楽しみください!

さて、基礎知識part1は、戦国時代のはじまりから、織田信長の登場までをざざっと辿っております。応仁の乱の後、統治力を失っていった中央政権(室町幕府)。長年の動乱で組織は弱体化し、全国で下のものが上のものに取って代わる下克上がはじまります。下克上を仕掛けた彼らの多くは、守護代とよばれる地域の実質的な統治者たち。この頃の支配システムは、室町幕府から派遣された守護大名が任国統治のトップで、その下に守護代がおったのですが、基本的に守護大名は在京だったために、自分たちの代わりに守護代に土地を守らせていたのです。彼らの間に起こった下克上は、(飛躍しすぎかもですが)今風に言うと、大手企業の全国にある支社の全員が、いきなり別会社を作って独立しちゃった…みたいな感じでしょうか。

そして、実力で守護大名から権力を奪取した守護代たちは、戦国武将となってそれぞれの国を自分たちの法のもとで治め始めます。要するに、この頃の日本には、国家がたくさんあったということです。
ちなみに日本初の戦国武将は、関東から現れた「北条早雲」という人です。その後、武田信玄上杉謙信斉藤道三毛利元就など有名人がどどどっと現れあちらこちらでエイヤソイヤと戦いを繰り広げていきます。

そんなこんなで始まった全国に群雄が割拠し、争いを繰り広げる戦国時代は半世紀ほど続いたところで、ある一つの転機を迎えます。

それが、鉄砲の伝来。そして、織田信長の登場
鉄砲は、これまでの戦争のやり方をがらりと変化させ、国のあり方にも変化を導きました。そんな鉄砲を、うまく導入してメキメキ頭角を現したのが織田信長です。
次週は中世社会をぶっ壊し、近世の扉を開いた織田信長を中心に、戦国時代をたどっていきます!

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2011/02/21

【JIDAIMAP MEETINGおさらい】悪女?それとも・・・日野富子に迫る!

JIDAIMAP METTINGは、以降の放送で一ヶ月ほど戦国時代の基礎知識という回を予定しておりますが、その前奏として今週のテーマは日野富子。応仁の乱のきっかけをつくったといわれ、「天下の悪妻」と呼ばれます。なかなか強そうなネーミングです。番組の趣旨的には、富子さんは、今では評価する声も一方ではあり、本当に悪妻か否か!!?という切り口で進めていきました。そんな富子さんが、どうして応仁の乱を起こすきっかけをつくったか・・・そんなところも含めてご紹介します。

日野富子さんといえば、室町幕府の第8代将軍・足利義政のファーストレディ。代々、将軍家に関わりのある公家の娘さんという、非常に高貴な出のかたです。
義政といえば、侘びさびの代名詞ともいえる名建築・銀閣寺をつくった将軍。後世に残る「東山文化」を完成させました。しかし、この人の思いは、「政治嫌い!!芸術したいのじゃ!」(注・勝手にデフォルメしてます!)。

この義政、政治に嫌気がさしていたのと、自分には男子が生まれないと思い込んでいたために、ついに事を起こします。将軍後継を、弟に(還俗させてまで)勝手に決めちゃうわけです。しかも、地元でブイブイいわせている有力武将・細川勝元を後見人にして。これにビックリしたのが奥方の富子さん。その後、富子さんは男児を出産。こうなれば当然、心情としては、将軍職は息子に・・・!と思うのが筋ってもので、細川氏に対抗できる有力者・山名宗全を息子の後見人にすえて対抗。この将軍後継者争いに、もともと家督争いでもめていた細川氏と山名氏の争いが加わって、京都を焦土に変えてしまうほどの戦争「応仁の乱」が勃発してしまうのです。

息子を無事将軍の地位につけることに成功した富子さんは、仕事を放棄した夫に取って代わって室町幕府の実力者として活躍し、お金をたくさんためて、それを火の車の国家財源に充てたり、応仁の乱を早期に終結させるための袖の下資金にしたりと、バリバリ働いていきます。

息子のために、立ち上がった富子さん。意見は諸々分かれるところだと思いますが、彼女を悪妻と呼ぶか、はたまた違う見方をするのか・・・。
俯瞰的に見ることができるのが、歴史の楽しみでもあります。
皆さんも、ラジオの前で二人と一緒にあれやこれや考えてみませんか??

来週は、戦国時代の基礎知識part1をお届けします!

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2011/02/16

【JIDAIMAP MEETINGおさらい】お犬様の真実

今週は、生類憐れみの令を公布した「犬公方」こと「徳川綱吉」の人物像についてググっとクローズアップ!生類憐みの令・・・歴史の教科書の中でも、その内容のセンセーショナルさ?から鮮明に記憶されている方も多いかと思います。が、その人物像については、はっきり言って、「ほかに何やったのかサッパリ・・・テヘ」な方は多いのではないでしょうか?有名人の意外に知らない情報をお伝えする。これもJIDAIMAP MEETINGのいいところだと思ってます(笑)

さて、早速そんなお犬様の簡単なプロフィールを紹介しますが・・・

◆戌年(イヌ!!!)の正保3年(1646)1月8日、3代将軍・家光の4男として誕生
◆母は家光の側室「お玉の方=桂昌院」
◆将軍になったのは、結構遅くて34歳の時。兄に跡取りがなかったことで、将軍職を相続する事に。因みに、京都の八百屋の娘から側室となった母・桂昌院に新たな経歴が。将軍の生母として大奥に華々しく復活!綱吉と母は強い絆で結ばれ、桂昌院は大奥で絶大な力を誇示したそうな。

そして、知られざるお犬様の実像ですが・・・

当初は、善政でブイブイいわせました
当初は、政治に積極的で、彼の行った改革は「天和の治」と呼ばれる善政。儒学の振興をはかるため、湯島(東京都文京区)に聖堂を建てた他、朝廷儀式の復興。天皇陵を調査、整備するなど、わが国の文化史上に欠くことのできない事業を実施したとか。

リストラからはじめました
これまで、政治の実権を握っていた大老などをクビにして、堀田正俊(綱吉が将軍になれるよう尽力した人物)を大老に。以降二人三脚で、これまでの悪政を改革していきます。ちなみに、家康が作ったこれまでの幕府のシステムは、老中が会議で政策を決定し、将軍が承認するだけ・・・ようは、バカ殿様だった場合の将軍の暴走を防ぎ、将軍が思い通りに政治が出来ないシステム。このシステムを変え、綱吉自身が政治に関われるようにします。幕府のシステムの改革にも力を入れ、役職の全てが家柄で決まっていた制度を、低い身分でも実力のある者を登用するシステムに変更したそうです。

なぜ、悪者イメージが?
編集長いわく、「本当は頭の切れる賢い人物だった・・・が、大老・堀田正俊が暗殺された事や、息子を幼い時に亡くし、以後子供が出来なかった事などから綱吉の政治に対する取り組みがブレてきた」。この辺りから「生類憐れみの令」が公布(綱吉の治世の間に、120回くらいに分けて順々に出された)。こちらは先週紹介したように、後半はやり過ぎではありましたが、紙切れ同然のように扱われてきた“命の大切さ”を民衆に訴えたという功績があり、現在では評価される意見もあります。

ちなみに、悪いイメージは、この「生類憐れみ政策」以外に母・桂昌院が力を持ちすぎたこともあるようです。母子の絆は強く、将軍なってからも綱吉は、母親の言いなりで、毎日、母親の住まいを訪れたとか。そこで綱吉が頼まれたのが・・・

アレもコレも建てちゃいました
仏教を深く信仰した母の頼みは、伊勢神宮をはじめ、東大寺大仏殿の再興、京都では、今宮神社や善峰寺など、全国で106以上の寺社を造営すること!費用は推定で70万両を超え、幕府の財政が困難になります。

して、綱吉は!!?
貨幣の鋳造で乗りきろうとしますが、結局失敗して、より物価が高騰して庶民の生活を圧迫することに・・・そして、悪政といわれることに。

余談ですが、当時は批判の嵐だった取り組みも、時が経てば評価されることもあり。綱吉親子が再建した寺社仏閣は、現在も代表的な観光スポットととして知られています。さらに、応仁の乱で荒廃した京の復興を江戸幕府が支えた陰に、桂昌院ありとも言われています。

このお玉さんは、時を越えてもご活躍なさっていて、毎年5月の今宮神社のお祭りに、2002年から「玉の輿」という本物の御輿が参加し、その御輿に乗るのは、高さ1メートルはあろうかという京人形のお玉さんらしいです。

来週は、いよいよ戦国に入るプロローグ・・・「悪女!?スーバーウーマン!!?日野富子」をお送りします。


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