2010/12/01

【JIDAIMAP MEETINGおさらい】かっこよすぎます・・・高杉晋作その①

龍馬伝、最終回を迎えましたね!
個人的には最後の弥太郎の死ぬところが、ナゼ!!?(あえて登場する必要があったんだろうか…)と思わず思ってしまいました。

ビビるさんも、ナチュラルな演技で町人さんを演じてはりましたね!(新選組と慎太郎がやりあうところ)

JIDAIMAP MEETINGは、あとちょっと幕末関係をやりますよ。今回は、とりあえず伊勢谷くんがかっこよすぎた「高杉晋作」に迫りました。

晋作兄さん…(勝手に)幕末の志士の中では、龍馬についで人気者との声も高く。抜群の行動力で長州藩を倒幕へ導いた天才革命児ですが、残念ながら志半ばの29歳で亡くなってしまいました。番組は、そんな晋作の龍馬との交流からスタート。

編集長いわく、龍馬が愛用していたピストルは、晋作からプレゼントされたものらしいです。第2次長州征伐では共に幕府と戦い(諸説あり)、またお互いを尊敬しあう仲で…
しかも、双方ともに最新ファッション好き(笑)で、海外への夢、早くに死を迎えるなど(!!)…よう似てはるやん!!!
個人的には、と、とりあえず着流しがサイコーです…!!!ハァハァ
ちなみに晋作兄さんは、龍馬さんの4つ下です。

そして晋作は、かなりのお坊ちゃまでした。
晋作が生まれた高杉家は、藩主の毛利家に戦国時代から仕えてきた200石取りの中級武士の家で、幕末に活躍した志士達の多くが下級武士だった中、出自は異色だったらしいです。一人息子の跡取りだったため、それは大事にされ、甘やかされて育ったそうです。(だからああいう人になったのか…)

そんな晋作さんが、生涯の師・吉田松陰先生と出会うのは19歳のときでした。
この頃、晋作は藩校の明倫館で学んでましたが、儒教中心の教えに「古っ!!くさっ!(?)」と感じていたそうです。そんな中、友人・久坂玄瑞に、松陰先生が主催する松下村塾に誘われたといわれています。
松陰先生からは「学者になってはダメ!人は実行が第一デス!」と言われ、学問の目的が出世の手段などではなく、国を救うためのものだということを悟ったのでした。

松陰先生は、晋作の事をこんな風に思っていたそうです。

「10年後には優れた仕事をこなすだろうと」
そして、「松下村塾には多くの秀才があつまっていたが、久坂玄瑞と高杉晋作は別格…超☆期待!」と、かなりの高評価です。

ちなみに晋作は、プライドが高く傲慢なところがあるけれど、カリスマ性があり、松下村塾の親分格として慕われてたそうな…。このカリスマ性があるところなんか、以降の、晋作の行動・活躍を見ても納得できる感じですよね。

晋作が松陰先生のもとに通っていたのは「安政の大獄」までの1年という短い期間。このとき晋作は、江戸に遊学中で、投獄された松陰先生に物や衣類、また金を調達して送り、獄中の松陰先生を支えたそうな…。

が、晋作が松陰に近づく事を危ぶんだ父により長州へ呼び戻され、晋作は、戻ってきた故郷で敬愛する先生が斬首に処された事を知ることになります。

それから晋作は結婚→東北遊学などを経て、上海へ使節団として参加することに…。そこで目にしたのは、アヘン戦争、アロー戦争に敗北し、半植民地化した清(中国)。晋作は、幕府がこのまま弱腰外交を続ければ、日本も清の二の舞になると危機感を募らせ、その経験から、尊王攘夷運動の急先鋒となり、次々に行動を起こすことになります。しかし、さまざまな活動を重ねていくうちに、単純過激な攘夷論には嫌気がさし、なんと西行法師にちなんで「東行(とうぎょう)」と名乗り、隠居してしまうのでした。

晋作はどうなるのか!!?次回も、お楽しみに!

2010年12月01日 19:17

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