2010/11/17

【JIDAIMAP MEETINGおさらい】実は龍馬よりも先を行く男だった?中岡慎太郎

大河ドラマも佳境に入ってきました!
もうすぐ、龍馬伝も最終回を迎えますが、そのクライマックスを龍馬とともに飾る人物といえば、先週と今週のトークテーマで取り上げている中岡慎太郎さんです。ちょっと前まで、中岡さんは名前はよく聞いてましたけど、実際どんなことをしていたのか??っていのうは、以外に知られてなかったんですよね。ぶっちゃけ、研究している人が少なかったというか…今では、龍馬さんのほうが著名ですが、幕末当時は中岡さんのほうが有名だったという説があります。

さて、先週まではそんな中岡さんの幼少時代から、我らが(??)武市先生に弟子入りし、土佐勤皇党として働くも、お尋ね者となり長州に逃れ、長州藩とともに行動をして尊攘運動に奔走するも諸外国にボコられ、あれやこれやわが身をもって体験するうちに、薩長同盟の思想にたどり着く…までをご紹介しました。

薩長同盟といえば、いわば犬猿の仲である薩摩と長州に手を結ばせるという前代未聞の取り組みですが、これには龍馬の功績が大きく取り上げられていますが、実は先に着想したのは、中岡さんとも言われているんですよね。先に行動に移していたのも中岡さん。

この、龍馬さんと中岡さんというコンビは面白くて、龍馬さんはパフォーマンスに長けた社長タイプ、中岡さんは実務実行…行動できるブレーン?タイプで、2人一緒に動くと最強のコンビだったようです。現代で、この二人がともにビジネスをしていたらどんな感じだったんでしょうね…すごく気になります・笑

さて、そんな中岡さんを、編集長いわく「中岡は賢く、先を見据える力があったのでしょう。薩長同盟で奔走する中、同士のために自身の考えをまとめた『時勢論』という本を書いています。〝今から後、国を盛んにするのは、必ず薩摩と長州である。天下が近日のうちに、この2藩の命に従うようになるのは、それはちょうど鏡にかけて見るようなものである〟と早くも王政復古後(新政府成立)の薩長藩閥政権を自信をもって断言している…」とコメントしていました。

中岡さんの薩長同盟に共鳴した龍馬さん。2人は共通の目的に向かって動き出します。
どんな風にか…といえば、ひたすら長州の桂小五郎や薩摩の西郷隆盛らの説得に奔走。(まるで新規開拓の営業マンみたいですね・笑)
さまざまな障害を乗り越え、同盟に向けて粘り強く努力を続けた2人。悲願の薩長同盟が成立するのは慶応2年(1866)、亀山社中の介入などで仕切り直しをした後のことでした。その後は、龍馬さんがリーダーの海援隊(貿易商社のようなもの)、中岡さんがリーダーの陸援隊(軍隊のようなもの)の結成を経て、その後もいろいろな活動があり、やがて大政奉還(慶応3<1867>年10月15日)が実現。この大政奉還も、実は薩長同盟の成立後に、龍馬さんよりも先に中岡さんが説いているらしいです。

ちなみに中岡さんは、先々を予言する『窃(ひそか)に示す知己論(ちきのろん)』というものを書いている(1866年10月)そうですけど、内心思っていたのですが、この時、国事にあれやこれや動いている(在野の人々含め)人々は、自身の思うところや思想などを、よく書にしたためていますよね。うん、なんか内心思っていたんですが。。。

さて、大政奉還が成立したその1ヵ月後(11月15日)に、2人は凶刀に倒れます。京都の霊山護国(りょうぜんごこく)神社には、龍馬と中岡のお墓が、並んで建てられており、龍馬の命日には大勢の人が訪れるそうです。中岡慎太郎の命日は17日でした。享年30歳。

ちなみに、中岡慎太郎と坂本龍馬、2人は実際、仲が良かったのですか…?とのビビるさんのご質問ですが、編集長いわく、『龍馬は中岡の事を「私同様の人」と乙女宛ての手紙に書いており、同志として非常に信頼を寄せていた』とのことでした。

来週は、高杉晋作をお送りします!

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2010/11/02

【JIDAIMAP MEETINGおさらい】秀吉、天下統一の総仕上げ。世紀の一戦…石垣山一夜城

始まりは、明るいニュースから!
われらがビビる大木さん、ご出身の埼玉県春日部市の、春日部親善大使に就任。
春日部市のHPに、ビビるさんのコメントが掲載されていました。

「春日部に生まれ育ち、書道、そろばん塾、進学塾に行ってもさぼってばかりでしたが、かすかべ親善大使はさぼらないようにしたいと思います。(笑)庄和町と合併して春日部市も大きくなりましたし、大凧をはじめ、しんちゃんも世界に向けて発信しているので負けずに頑張りたいと思います。」春日部市HPより)

かすかべ親善大使はサボらないそうです(笑)

さて、今週は、春日部親善大使・大木さん出身の埼玉県のご近所?!と・・・お隣のお隣でうーん、ちょ~~っと遠いんですけど、神奈川県小田原市で、400年ちょっと前に行われた世紀の一戦「小田原城一夜攻め」に迫りたいと思います。
小田原城一夜攻めとは・・・時は戦国時代。神奈川県小田原にある小田原城・城主の北条氏と豊臣秀吉の戦いのことで、その勝敗を決定づけた秀吉の戦略が後世まで語り継がれる大決戦。秀吉の天下統一はこの一戦で総仕上げをしました。ちなみに、北条氏は関東地方を支配化に治めた関東・東北勢のドンでした。

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そもそも、「石垣山一夜城」って?
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秀吉が、小田原征伐の本拠地として密かに築いた城で、その周囲の木を一気に伐採し、一夜のうちに出来たように見せかけた事から「石垣山一夜城」と言われるお城です。小田原ににらみを利かす位置にあり、今でも史跡として石垣などが残ってます。

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小田原城は、どんなお城だった?
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東西3キロに渡る城郭をもつ小田原城は、城の左右を二本の川に挟まれ、後方には相模湾という自然の地形を生かした要害。また、周囲には50を越える支城や砦があり、堅く守られた鉄壁の名城。武田信玄や上杉謙信の攻撃も受け付けなかった。

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鉄壁の要塞に大軍勢で挑む!
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そんなお城なため、首尾よく城を落とせたとしても、何年もかかる。そこで秀吉は、相手が度肝を抜くような大規模な戦を仕掛け、早々に戦意を喪失させるのが得策だと考え、総勢で、22万余という日本戦史上かつてない大規模な軍団を編成。徳川軍、前田・上杉軍、毛利軍など戦国時代の名武将オールスターという布陣で臨みました。この大軍勢に、北条氏は籠城戦で対峙。天下の堅城とうたわれた小田原城にこもれば、絶対に最後は勝てると踏んだらしく、北条氏側の籠城兵は5~6万にも及んだといいます。

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読みの甘さにすぐに気づくも…
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22万人もいた日にゃあ!!と、北条氏サイドはすぐに読みが甘いことに気がつきますが、時はしでに遅し。小田原城の周囲には、水も漏らさぬ包囲網。しかも、補給の頼みの綱としていた相模湾は、秀吉側の水軍船で封鎖。そして、秀吉の別働隊が次々に北条氏の支城を陥落させた。この完璧なまでの包囲網に対し、北条氏は100日間以上もの籠城に耐え続けたのです。

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ついにその時!
勝敗が決まったきっかけは?

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敗北を決定付けたのが、秀吉の奇策「石垣山一夜城」。目の前に、突如現れた大きな城。北条軍は、この城を目の当たりにした瞬間、張り詰めていた糸がプツリと切れ……戦意を喪失。そりゃあ、がっくりしたことと思います。天守を備え、茶室まであったという総石垣の城は、関東では初めての石垣で出来た城。これまでに見たことにない見た目も怖かったことでしょう…。

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ちなみに、実際にかかった日数は?
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山の奥深くで小田原城から見えないように密かに築き上げ、実際にはのべ4万人を動員し、80日間かけて築いている。秀吉は、この城に淀君ら側室や千利休、能役者を呼び、茶会を開いたりしていました。

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この城を見て、
北条氏はどうするのですか?

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秀吉が持つ権力の強大さを思い知らされた北条氏直・氏政親子は籠城からおよそ3ヶ月後、小田原城を開城して降伏。戦国大名・北条氏の滅亡である。秀吉は、氏政などに切腹を命じ、城主・氏直を高野山に追放。小田原城の陥落は、実戦というよりも、心理戦での結果だった。

これで、豊臣秀吉は、天下統一が名実ともに完成しました。
来週は、再び幕末!最近、大河で出番増えてきました。中岡慎太郎を二週にわたり、お届けします。

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