2010/09/13

【JIDAIMAP MEETINGおさらい】アメリカに上陸した初めての日本人、ジョン・万次郎の波乱万丈人生に迫る②

【10年ぶりに日本へ!】
先週に引き続き、ジョン・万次郎Part②!!
帰国を決意した万次郎が日本へ辿り着いたのは、嘉永4年(1851)。なんと約10年ぶりの帰国です。14歳だった万次郎は24歳の青年に・・・。万次郎達は琉球(現・沖縄県)に上陸しました。

【入念な取調べの数々】
当時、琉球は薩摩藩の統治下にあり、上陸してすぐに、罪人として3人は身柄を拘束。漂流したいきさつ等について、薩摩藩の役人から繰り返し取調べを受ける事になります。琉球で取調べを受けた期間は、なんと7ヶ月!しかし、身柄を押さえると言っても牢に入れるなどという厳しいものではなく、比較的自由が約束されたものだったそう。

【薩摩の殿様・島津斉彬との出会い】
そして、取調べの舞台は琉球から薩摩藩へ。なんと、薩摩の殿様が直々に万次郎を取り調べたいとのオファーがあったのです。人払いをしてからの取調べは「アメリカの話を聞かせろ」というもの。「信頼できそう!」。ビビビっときた万次郎は、殿様に自分が知る限りのアメリカの歴史や実情を伝え、日本に迫る喫緊の自体を回避するには、一刻も早く開国すべき、と必死の覚悟で語った。ちなみに万次郎の話をじっと聞いている、この殿様こそ、幕末の名君主の一人、島津斉彬公。
万次郎の訴えの正しさも即座に理解し、そして万次郎の身を守る為、「今後どのような場面でも、帰国の理由を聞かれた時は「母が恋しい一心で帰って来たと言い通せ。間違っても「日本を開国させる為」などと言ってはならぬ。命をなくすぞ」と忠告。長崎へ送られる際、長崎奉行宛ての送り状には、「万次郎は賢くて覇気があり、将来必ず国の為に役立つ人材なので、決して粗末に取り扱わないように」と斉彬自身の署名で書かれました。

【故郷・土佐に到着!】
その後、生まれ故郷土佐に到着した万次郎は、同じく新しいもの好きの土佐藩主・山内豊信(容堂)からも、取調べをうけたそう。この事情聴取の際の記録係を担当したのが、河田小龍(しょうりょう)。彼は、土佐藩お抱えの絵描きで、彼が記した書籍から、坂本龍馬はジョン・万次郎の見聞を知り、海外への興味を一層深めたそうです。

【日本初の英語の先生に大抜擢!】
その後、万次郎は身分制度の厳しい土佐藩の中でなんと武士に取り立てたてられます。そして、日本初の英語の先生となりました。生徒には、龍馬伝でもおなじみ、後に政治家として大成する後藤象二郎そして三菱の創始者となる19歳の岩崎弥太郎らがいたそうです。

【ペリーのおかげで出世!土佐から江戸へ】
万次郎が帰国してからの日本は、猛烈な勢いで動乱の渦に巻き込まれていきます。ペリーの浦賀港への来航。なんと、ここで幕府は噂に聞きし万次郎の登用を決定。「外国の様子を尋ねたいので江戸に呼び寄せて貰いたい」というものでした。その後、江戸に移って間もなく、26歳の万次郎は幕府直参(江戸幕府に直接仕える武士)に出世。以降、万次郎は故郷の中ノ濱から名前をとって、中濱万次郎信志と名乗り――さまざまな辛苦も舐めながら、開国に向かう日本のために、奔走していきます。

【晩年の万次郎】
江戸幕府が倒れ、明治になってからは、万次郎は明治政府からも開成学校(東京帝国大学の前身)の教授に任命され、活躍していくことに。そんな万次郎ですが、それまでの無理が祟ったのか、晩年は様々な病に見舞われてしまい、通訳など公の場での仕事を全て断るようになりました。そして明治31年(1898)11月12日、万次郎は71歳で永眠。家族に囲まれた、穏やかな老後だったそうです。

来週は、幕末のプロジェクトX、佐賀藩に迫ります!

2010年09月13日 19:36

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