2010/06/02
【JIDAIMAP MEETINGおさらい】坂本龍馬と仲間たちpart3/初めてルイ・ヴィトンを持った男!!?後藤象二郎
先週に引き続き「龍馬と仲間たち シリーズ」お題は、“後藤象二郎”です。
失礼ながら、一般的にものすごく、有名っ……て感じでもないので(苦笑)すが、そんな後藤さんのカウンターパンチなトリビアネタから。
【日本で初めてルイ・ヴィトンを買った人物】
編集長曰く、後藤さんは、日本で初めてルイ・ヴィトンの鞄(当時なのでトランク)を愛用した人物と言われているそうで、そのきっかけというと、自由党の総理・板垣退助と共に、明治15年(1882)ヨーロッパの憲法調査のため外遊したときのこと。フランスに訪れた際に、シャンゼリゼ通の本店で…ビビっときたのでしょうか?購入。総革張りの110センチの大型の物で、今でも顧客リストに、後藤の名前が残っているんだそうです。
【結構インパクトある後藤さん、
どんな人だったのでしょうか?】
後藤象二郎は土佐藩の“上士”でした。龍馬は“下士”の生まれなので、身分は大きく異なる二人。なので、出会ったのは、龍馬脱藩後のことでした。土佐藩内で重要な地位を占める吉田東洋が叔父であり、11歳の時に父を亡くしてからは、東洋が後藤の教育を受け持ったそうです。ご存知、叔父様は、藩の中の権力者。しかし、藩の役職を失った時期もあったそうで、その間は私塾・少林塾を開き、後藤象二郎を始め、板垣退助や岩崎弥太郎らの教育に尽くしたそうです。
その後、東洋が、参政として、藩政に復帰してからは、東洋の教え子が次々と重役について行く・・・というわけです。
【叔父様の暗殺で人生が一変】
しかし!先週紹介した武市半平太率いる土佐勤王党による吉田東洋暗殺計画で人生が一変・・・。叔父を暗殺され、後ろ盾を失ったため、失脚しちゃいます。
その後、江戸の幕府開成所(幕府が開設した、研究と教育の機関)で洋学を学びますが、京都の尊皇攘夷派が一掃され、土佐勤王党も力を失った際、叔父様の東洋に厚い信頼を置いていた前藩主・山内容堂が藩の改革に再び乗り出し、後藤も藩政に復帰。
そして、敬愛する父であり、恩師である東洋の仇・土佐勤王党を、容堂と共に徹底的に弾圧するのです。
この当たり前は、現在の龍馬伝で、ちょうど放送している辺りですよね。
【岩崎弥太郎との意外な関わり】
トークはその後、後藤さんのプライベートな事柄に迫っていきます。後藤さんには二度結婚歴があり、一人目の奥さんを失った後、京都で二人目の奥さんになる雪子さんと出会ういます。
雪子は、もともとは、幕末の京都で、後藤の身の回りを世話する芸者だったので、ゆえに、四民平等になったはずの明治でも、身分の違いから結婚するのは難しかったそう。
そこで!どうしたかというと、後の三菱財閥の創始者であり、当時、後藤の腹心で活動していた、岩崎弥太郎が、雪子と兄妹の縁組を結び、岩崎家から嫁に出るという形で、後藤と雪子は結婚したそうです。後藤32歳の時のことでした。
【龍馬との関わりは…?】
◆海援隊発足(後藤さんが、龍馬を海援隊隊長に任命)
◆船中八策(上京する船中で、龍馬が後藤に示した新たな国家体制の要項)
◆大政奉還(幕府が朝廷に、政権を返還した大政奉還、船中八策が基となった)
ものすごい、濃い~~関わりがあります。
【なのに、暗殺に関わった説が・・・!!?】
しかし、龍馬のおかげで大政奉還を成し遂げたのに、龍馬暗殺に関わっている?!という説もあるそうで…。龍馬暗殺は色々な説がありますが、その中の一つでいわれているのは、龍馬暗殺の黒幕、土佐藩説(有力ではないそうですが)。
ちょっとハラハラの展開の夜の歴史トークは、熱気を帯びていきました。
この辺りは、龍馬伝でどんな風に描かれるのか、個人的にすごく興味深いお話なのであります。
さて、トークは、クライマックスを迎え、維新後まで生き残った後藤さんの政治家として活躍で、お開きを迎えました。
次回は、皆さんご存知、ペリー提督の登場です。
実は、●●疑惑もあるとかで・・・?
請う、ご期待です☆
2010年06月02日 21:25
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