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2010/06/07
【JIDAIMAP MEETINGおさらい】ペルリが来たりて日本を開国!黒船来航
今回のJIDAIMAP MEETINGは、黒船に乗ってアメリカからやってきた、ペリー提督のお話しです。
龍馬との直接の接触はないのですが、この黒船の来航で、鎖国をしていた日本は大パニックに。明確な定義はありませんが、幕末の始まりは、このペリー来航(1853年(嘉永6年))から、とも言われています。
私事ですが、黒船といえば「平成の黒船」、リア・ディゾンちゃんがとても好きでした・・・(頬染)そんなほんのり古い話はさておいて、150年も昔のお話しをしましょう。
【スクープ!!ペリー、カツラ・・・かも?!】
まずは歴史の教科書でお馴染みの、ペリー提督の驚くべきニュースから。皆さん・・・教科書で見たペリーのお姿をまぶたの裏に思い起こしてください。思い出せない方は、ネットでチェック!
随分ともったいぶりましたが、ペリー提督には、なななんと・・・!!!
“カツラ疑惑”があるらしいのです。
それは、ペリーが日本への遠征途中に訪ねた、在イギリスのアメリカ領事・ナサニエル・ホーソンによります。
「キビキビしていて、紳士的、気取らず分別のある男だ。
非常によくできているカツラのために、実際の年齢よりも若く見えた」と、ホーソンさん。
教科書の顔写真の、とってもナチュラルなこと!
ちなみに、ペリーさんが初めて日本に来たのは旧暦6月頭(現在の7月頭)だそう。
日本は梅雨真っ只中。さぞかしセットしにくかっただろうな・・・と
ちょっぴり、余計な心配をしてしまいます。
【意外と知らない?ペリー提督のプロフィール】
まずお名前は、マシュー・カルブレイス・ペリー。フルネームは意外と知られていませんね。1794年、米国北部ロードアイランド州のニューポートで海軍一家の三男として、海軍設立の年に誕生。
父は海軍大佐。長兄はアメリカ海軍史に名を残す英雄で、次兄と弟も海軍に所属。
生まれながらにして将来は決まっていたような物!!?
そんなペリーの海軍デビューは14歳の時。
その後、着々と海軍で出世し、やがて造船監督官として蒸気力の軍艦への応用・蒸気船の導入の功績で蒸気海軍の父と称されるようになります。
【ペリー提督がやってきたワケ】
ペリーが初めて日本に来たのは、1853年(嘉永6)。59歳の時でした。
目的は、ずばり日本を開国させる為。東インド派遣艦隊の司令官に任命されました。
ペリー提督は、日本を開国させることに成功しておりますが、それには、ペリー提督
ならではの努力があったといいます。それは・・・
【日本の書籍を大人買い!】
ペリーは、初の日本来航、そして自らに課せられたミッションを成功させるために、
その事前調査として日本関係の書籍を全部買い集める=大人買いをしました。
一説では、その数40冊以上。メイン教材はオランダから出ていたシーボルトの『日本』。
同じくシーボルトが国禁を破って日本から持ち出した『日本地図』など。
そして、予習した結果、日本人は『形式的な礼儀作法を守り、帝王のごとく誇り高い』という分析結果に至りました。
そして、「日本人は、優越的な態度を取るに違いないが、威圧的な態度で押せばこちらの要求を必ず聞いてくる」と考えたのだとか。
歴史上、有名なペリー提督の強硬姿勢による外交は、これが原点だったんですね。
ちなみに、開国を要求する国書の内容は以下の3つだったそうです。
① アメリカ漂流民の生命・財産の保護
② アメリカ捕鯨船の食料・薪水の補給
③ 鎖国を解き貿易港を開く=『交易をする』こと
【貰うお土産、贈るお土産。】
ペリー提督は、合計二回の来航で、十二か条にわたる『日米和親条約』を締結させました。内容は・・・日本にとっても不利益な内容だったそうです。
その調印時、彼は47点の献上品(お土産)を日本に持ってきました。
日本の人々を最も喜ばせたのが、模型列車と電信機。
列車はかろうじて児童が乗れるほどのものでしたが、幕吏は先を争って屋根に乗り、
振り落とされまいとしがみついて喜んだそうです。
おっちゃん?達が列車の模型に夢中になっている様子を想像すると、幕末の動乱のさなかではありますが、
ちょっぴりほっこりします・・・
【日本開国達成!その後のペリーは?】
条約締結を成功に導いたペリー提督は帰国後、
2年間に及ぶ活動の膨大な記録や資料をまとめた『ペリー提督日本遠征記』を出版(全3巻)。この書籍の編集を終えたあと、その事業に全精力を費やしたかのように(約3年がかり)、ほどなくしてニューヨークで亡くなったそうです(享年63歳、死因は心筋梗塞)。
ちなみに、書物の中で、国禁を破ってまで海外渡航にチャレンジしようとした吉田松陰の行動を評価する内容があり、このような人材のいる日本の将来は、どれほど有望なものか…と記しているそうです。
来週は、なすなかにし改め“いまぶーむ”さんをゲストに迎え、維新志士達の育ての親、松陰先生を特集します!
2010年06月07日 20:50
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