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2010/05/25
【JIDAIMAP MEETINGおさらい】坂本龍馬と仲間たちpart2/武市半平太、壮絶な最後
先週に引き続きお題は、武市半平太。そう、土佐勤王党を立ち上げた武市先生です。…壮絶な人生の後半に迫ります。
【まずは先週のおさらい】
武市先生が、そもそも尊皇攘夷に目覚めたきっかけから。
江戸遊学中に桂小五郎、久坂玄瑞など、長州藩士と出会い、尊皇攘夷に開眼 。そこで土佐勤王党を立ち上げます。
…が、なかなか藩に受け入れてもらえず、苦悩の結果、最大の障壁・吉田東洋の暗殺決行へ…。ここまでが、先週のおさらいなのですが、その後の武市半平太率いる土佐勤王党の行方はどうなったのでしょうか?
【夢がかなった !しかし……】
土佐勤王党は、東洋の死後、尊王攘夷運動の中心勢力として京都で活躍。目的の為には、天誅も辞さない組織として恐れられる存在は、藩内でも大きな力を持つように。
「一藩勤王」を目指す武市の夢は、叶うかに見られます、しかし……。
文久3年(1863)の八月十八日の政変(公武合体派の公卿によるクーデター)で、尊皇攘夷派が京都から一掃。武市率いる、勤王党も危機に陥ります。そんな中、信頼する吉田東洋を殺された前藩主・山内容堂の逆襲が。彼は、勤王党を弾圧!!!武市の同士は次々と投獄され、9月に武市自身も投獄。そして慶応元年(1865)閏5月11日切腹を申し渡されるという結末を迎えました。
【打ち首より、切腹のほうがいい?】
切腹は、同じ死刑でも、武士の身分を保ったままでの自決。打ち首とは大きな違いがあったそうです。武市先生自身も、打ち首だけは免れたい!と言っていたそうで、その意味では希望が叶ったんですね。
そして、ここでちょっと“痛~~い”お話しなのですが…。切腹はふつう、腹に一文字に刀を入れるのですが、武市は斬り込む回数の一番多い「三文字」に、自らの腹を切り裂いたそうです。その壮絶な最後に同席者も舌を巻き、彼の死を惜しんだそう。享年36歳(諸説あり)。若いですよね(><。。)
葬列が墓に到着した時、列は12キロも後ろまで連なっていたそう。色々と、ちょっと難しい捉えられ方をする彼ですが、人望厚かったんでしょうね。
【して、その頃の龍馬は?】
龍馬は長崎で、日本初の商社と言われる亀山社中を結成していました。下り坂あれば、上り坂もあり。人生って分からないですね。
【妻・富子さんとのエピソード】
先日のドラマでの、武市先生と奥さんとのお別れのシーン、涙なしには見られませんでした…。ドラマでは奥貫薫さん演じる妻・富子は、武市より1歳年下の幼馴染。二人の間には子供はいませんでしたが、2人は、おしどり夫婦だったそうです。夫・武市先生が投獄されてから、富子は夫を思い、夏は蚊帳を使わず、冬は布団を使わず板の間で寝たそうで…。また、1年半以上、1日も欠かすことなく、弁当を差し入れて、時には、蛍や花も差し入れた。武市も、得意の絵を富子に贈った。つらい日々には違いなかっただろうが、二人は恋人同士のように、歌や手紙を交換したそうです。
このあとも、武市半平太以外の勤王党のメンバーを中心に、トークは進行。武市に可愛がられた人物で、「人斬り以蔵」として知られる、岡田以蔵の話題にまで広がりました。
来週は、後藤象二郎に迫ります!
2010年05月25日 10:11
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