2009/11/09

【JIDAIMAP MEETINGおさらい】古代史のヒーロー・聖徳太子に迫る!!!

季節はもう11月。めっきり寒くなりましたね。
京都の北部では早くもミゾレが降ったとこもあるのだとか∑(o'д'o)!!
さてさて、そんな冷え込む晩秋の夜長に放送開始の今月のテーマは、“古代”。
来年、2010年に幕開けする“平城遷都1300年祭”に向けてプレイベントなども開幕されている“奈良”をクローズアップします!

今週、来週の主役は、かの聖徳太子。彼の生きた時代は飛鳥時代・・・なんだか遠すぎてピーン!!と来ない方もいらっしゃるかと思いますが、遡ると旧石器・縄文 → 弥生時代 → 古墳時代 → 飛鳥時代 → 奈良時代 → 平安時代・・・・・・遡ることおよそ1400年!!! 


まず、「聖徳太子」のいたこの時代には、日本とか天皇といった言葉は使われていなかったそう。日本は倭国(わこく)、天皇は大王(おおきみ)と呼ばれていたそう。当番組では、使い慣れた日本、天皇という言葉を使いました。
   

●聖徳太子は実在しなかった?!

いきなり、近年注目されているあのセンセーショナルな話題からズバッと。
編集長いわく、「聖徳太子とは、後世の呼び名。謎の多い人物で、死後に書かれたさまざまな関連書物では、10人の話を正確に聞き分ける・・・等々、超人的な人物として描かれ、等身大の人物像はわかっていない。歴史上の人物として評価しなおすため、近年の高校教科書では、「厩戸王(うまやどおう)」という表記が一般的になっているらしい。

>>>それについて、ちょこっと書店さんに取材を慣行!

すると、厩戸王(聖徳太子)と表記し、「摂政」という言葉も使われていないのだとか・・・!!
私らの子供の時代は違ったので、ちょっとオドロキでした。


●歴史舞台への初登場は?

編集長いわく、初登場は587年。仏教の導入を巡り戦いが起こり、この戦いに太子も参加していたのだとか。時の天皇は、仏教を受け入れるべきか否かを豪族たちに問うのですが、在来の宗教を信仰する勢力、物部尾輿らはこれに反対、蘇我氏のリーダーだった蘇我稲目は賛成しました。崇仏派の蘇我氏 VS 排仏派の物部氏の対立は次第にエスカレート!!!!! ついに蘇我馬子(稲目の子)が物部守屋(尾輿の子)を滅ぼして蘇我氏が実権を握った。これ以降、仏教の導入が本格的に進行。

蘇我氏の血を引く太子は、10代なかばにして蘇我軍の一員として戦場に赴いたといわれる。これが歴史舞台への初登場だということです・・・・・・。

●政界デビューは?

592年、史上初の女帝(諸説あり)推古天皇が即位します。
ちなみに、聖徳太子は推古天皇の甥にあたり、推古天皇を補佐する地位に聖徳太子がつき、蘇我馬子を合わせた3人が当時のヤマト政権の主要構成者。になったのだとか。
つまるところ、分かりやすく言うなら“新政権の発足”ということ!

以降、聖徳太子は、冠位十二階、十七条憲法、遣隋使など数々の改革を図っていくのですがこれらは来週に詳しくご紹介します!!

乞う、ご期待くださいませ!

2009年11月09日 21:59

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