2009/10/19
【JIDAIMAP MEETINGおさらい】幕末・維新の基礎知識Part③ 幕末事件簿
大好評『幕末維新の基礎知識Part3』!!!ときの大老・井伊直弼が結んだ通商条約以降、日本ではさまざまな事件が勃発・・・・・・。
尊王攘夷論が活発になる一方で、公武合体が図られ、これを断固阻止!の反幕府派“長州藩”を、推奨派の“会津”・“薩摩藩”が京から追い出そうと禁門の変、長州征討が発生・・・・・・・。∑(o'д'o)!!
激動の幕末時代を動かした薩摩藩、長州藩、土佐藩とキーパーソンにググっと迫り、その後の日本の流れを大きく変えていった“薩長同盟”に切り込んで参りました。
>>Chapter1 幕末を動かした劇アツ三藩をクローズアップ!!
◎まずは西郷どん!こと西郷隆盛、大久保利通ら薩摩藩。
ザッツ九州男子!焼酎でお馴染み、藩は薩摩鹿児島=現在の鹿児島市に置かれました。藩主は外様(関ヶ原の戦いの前後に徳川氏に臣従した大名)の島津氏・・・・・・とまさしく、かゆいところに手が届く基礎知識。
もともとは朝廷と幕府を結びつける「公武合体論」に過激なまでの賛成派でしたが、「薩英戦争」で諸外国の脅威を学んだのち、西郷隆盛や大久保利通ら若い世代が台頭。「倒幕論」に鞍替え。
◎続いて、倒幕派の急先鋒・長州藩!!
ビビるさん敬愛の吉田松陰先生がつくった松下村塾は、高杉晋作や久坂玄瑞などといった人材を輩出し、幕府打倒にメラメラ・・・・・・。幕府の「長州征討」により、一時は幕府に従う道を選ぼうとするも・・・・・・NONONO!翌年高杉晋作の挙兵で藩士たちが発奮。長州藩は、完全な「倒幕論」へシフトチェンジ!!
◎最後に、初代藩主・山内一豊と妻・千代で知られる土佐藩。
時の権力は、「土佐勤王党」ががっつり握り、「藩を揚げての攘夷運動」が藩内に浸透。長州藩に次ぐ、攘夷派の藩として台頭しました。一時期は公武合体論に傾くものの、前藩主の山内容堂が15代将軍・徳川慶喜に大政奉還を進言し、これを実現しました。
ちなみに……薩摩(島津氏)、長州(毛利氏)の両藩は、いずれも関ヶ原の戦いでは、西軍についていた。そのため、討幕の芽はこの時の徳川家への恨みから芽生えていたとする説もあるとか・・・・
>>Chapter2 なぜ、いがみ合う2つの藩がくっついたのか・・・龍馬の巧みな人心掌握策
さて、続いてクローズアップしたのは「薩長同盟」。薩摩藩と長州藩は禁門の変や長州征討で戦った仲なのに、ナゼゆえこの2藩がタッグを組んだのでしょう?「仲良くなるきっかけは」と、ずばり真相に。架け橋となったのは、薩摩・長州双方にツテのある、坂本龍馬と中岡慎太郎のお二方。長州藩は下関戦争の講和条件として武器の輸入を禁じられていたのですが、ここで坂本龍馬さんがお知恵を働かせます。薩摩藩名義での武器購入を斡旋するなど、日本初の商社・亀山社中を媒介としながら両藩を近づけていったそう。そして西郷隆盛と桂小五郎(木戸孝允)の両代表を会談させ、説得の末、見事に手を組ませることに成功!
その後は、同盟の内容はなどにも詳しく迫りました。薩長同盟が成立の地にも触れ、その場所は、上京区堀川通一条東入ル南側 市バスの「一条戻り橋」から徒歩すぐの所と言われるとこと。現在「小松帯刀寓居参考地」の石碑が建てられている場所だとか。
次週も、引き続き幕末・維新の基礎知識をお届けします。
来週は、フィナーレを飾るにふさわしいスペシャルゲスト・“やるせなすの石井康太さん“がご出演されます!!!何やら、伊豆下田でさまざまな情報を仕入れてくださったようで・・・・・・
請う、ご期待くださいマセ! m(_ _)m
2009年10月19日 20:48
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