2009/09/24

“激アツ☆”のお城特集 part2 「名古屋城」 に迫る!!

先週に引き続いての今週のテーマは、今“激アツ☆”のお城特集。Part2は、戦国から時を経て、まさに徳川家康が「天下統一にチェックメイト!」する直前に建てられた名古屋城をクローズアップ

金のシャチホコがキラリ☆な名古屋城は、そもそもどうして建てられたのでしょう?今宵の歴史談話は、そんなクエスチョンから始まりました。

>>俺の力を見るべし!!
名古屋城築城の目的とは?

名古屋城の着工スタートは、関ヶ原の戦い(慶長5年/1600)からおよそ10年後のこと。実質的にトップに躍り出た勝者・家康でしたが、完全な天下統一には、まだ周囲がな~~んか、ごちゃごちゃ・・・そう、豊臣家&長らく秀吉子飼いの大名たちの残存勢力が依然くすぶり続ける火種のように存在していたのです。
「う~~む、いつ寝首をかかれるや分からぬッ・・・」
豊臣を上回る力があることを見せ付けるために、大坂城を上回るビッグキャッスルを拵えたというわけです。
「ど~だいベイビー(?)!俺のお城すごくない?」
ちょっと違うような気もしないでもないのですが、つまり、そういうことだったのです

<ちなみにスケール比較>
名古屋城天守:約36.1m
大坂城天守:約30m
姫路城天守:約31.5m
江戸城天守:約44.8m

さらに、ここ尾張は地政学的に東西を隔てる日本の中心部にあたり、豊臣の残存勢力が根強く残る関西圏(大坂)に睨みを利かせるための、絶好のポジションだった。軍事的な意味合いも大きかったというわけです。

>>屋根はもともとピカピカの10円玉色だった?

白亜のボディに青緑の屋根瓦・・・・・・現在の名古屋城は、そんな感じでなんとも優美なお姿。でも建てられた当時は、きらっきらと輝く10円玉色でした。つまり、材質にブロンズ(銅)が使われており、これが酸化して現在の色になったそうで。ちなみに、銅はもともと貨幣を作る材料なので、いうなれば「お金で屋根を作りました」ということ!? 思わず、一万円札風呂を想像してしまったのですが・・・いやあ、なんともバブリーな話です。

>>ここにもあった!徳川埋蔵金伝説

名古屋城には、本丸に連結された小天守と呼ばれる、いわば天守への入り口の機能を果たす建物があるのですが、ここにはかつて金蔵(金庫)があったそうです。そこには30万両の金(今の価値で300億円くらい)や、9000貫(33トン・3億円くらい)の銀があったそうな。明治維新後の調査では、中身はすっからかんの状態になっていたそうですが・・・果たして、埋蔵金はどこへ行方をくらましたのでしょうか・・・・・・?

>>次回は、ハンカチのご用意を!

2週に渡り、名古屋城を特集しますが、次週はお城の築城には強大な権力を手中にした家康にかしずく諸大名たちの、涙なしには語れないトホホ話・・・・・・もとい、苦労話が残されています。さあさ、皆様次週はハンカチのご用意をお忘れなく!!

名古屋城 へ出かけてみよう☆

昭和20年に空襲で消失した「名古屋城の本丸御殿」は、かつて狩野派の絵師による障壁画が飾られ、30以上もの部屋があったとか・・・。現在、障壁画とともに、復元が進められており、平成29年に完成予定。来年の開府400年に玄関の一部が公開されるそうです。

交通手段:地下鉄名城線 「市役所」 下車 7番出口より徒歩 5分、鶴舞線 「浅間町」 下車 1番出口より徒歩12分。車の場合は名古屋高速1号楠線 「黒川」 出口から南へ8分
、名古屋高速都心環状線 「丸の内」 出口から北へ5分

2009年09月24日 20:10

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