2009/09/30

2010年の大河『龍馬伝』も待ちきれない!JIDAIMAP MEETINGで基礎知識を磨こう!

いよいよ、イケメン武将たちが大活躍の大河ドラマ『天地人』が、“関が原の合戦前後”を向かえましたね。クライマックスはもうそこ!

「強いものが、常に勝つものが正しいとは限らぬ・・・!」(by光成)
小栗旬さん演ずる敗軍の将・石田光成と、光成を裏切り敵軍についた小早川秋秀(上地雄輔さん)の、対峙するシーンに、思わずギニャーッ(かっこ良し!! ><。)となってました(笑)

さて、大盛り上がりで終わっちゃうのがなんだか寂しいなあ・・・と思う今年の大河ですが、案ずることなかれです!

来年のイケメン(そこが焦点か)・・・・・・もとい、大河ドラマ『龍馬伝』の主演はなんとアノ福山雅治さんが登場!ちぃにいちゃ~ん(^o^)

当10月のJIDAIMAP MEETINGは、そんな大注目の大河ドラマに先取りして、「幕末・維新」の基礎知識を放送します。幕末・維新ってどんな時代だったの?にスポットをあて、複雑な当時代の時代背景をご紹介します。

◆◇気になる第一週目(10月2日放送)のお題は・・・◇◆

Chapter1
まずは基礎の基礎 「幕末・維新」とは?

Chapter2
幕末・維新の皮切りは、ペリーの黒船来航だった

Chapter3
海外からの開国要求・・・・・・「日米和親条約」とは?

ペリー来航により、めまぐるしく動き出した“日本”という国。
さまざまな価値観が芽生え、人々の情熱は大きなうねりとなり、やがて“変革”を巻き起こします。

皆々さま、ぜひとも秋の夜長はRADIOの傍らで、昔物語りに耳を傾けてみませんか?
やがて幕開けする熱い時代の物語に備え・・・・・・・
なにしろ、秋はオベンキョウの秋ですから!!!(笑)

12:48 | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/09/28

【JIDAI MAP MEETINGおさらい】汗と涙の名古屋城築城ストーリー

9月の最終週は、クローズアップ名古屋城Part2!
「汗と涙の名古屋城築城物語」をお届けしました。
築城に関わった諸大名たちの物語にグイグイっ!と迫ります。

>>築城のキャスト
そして、恐怖の“天下普請”とは・・・?

築城に関わる一切の土木作業(堀や石垣の構築)を、配下の諸大名たちに無報酬で手伝わせる――この、任じられたほうはある意味、
「超ガッカリ・・・・・・」
な取り組みを天下普請といいます。江戸時代のジャイアン様。豊臣支配下の時代には、お城を作れなかった家康は、天下をとった後、旧豊臣方の家臣を動員して築城に携わらせたそうです。

ちなみに、キャストは以下のような方々が名を連ねています。

細川忠興、池田輝政、福島正則、黒田長政etc・・・・・・
ふむふむ・・・やはり旧豊臣派の重鎮ばかりですね。ちなみに、上記のような旧豊臣派の家臣たちは、お城の天守や御殿などは担当できず、これらの要所はかねてからの徳川派の家臣が担当しました。その中に、なんと、かの小堀遠州さんもいらっしゃいます。

仇敵の家臣たちに重要な城内の構造を知らせないためという意味合いもあったようですが、彼らは土台や石垣などの、ある意味ガチ体力(財力)勝負!なキツイ労役を課せられたということです。

>>「同情するなら金をくれ!」

ちなみに、諸大名は人手の手間賃、往復の交通費、滞在中の経費、石垣に使う石材などを集めての現地までの運搬費のすべて自腹。
家康様は、一銭たりとも出さなかったそうです。これ即ち、財政・人員ともに家臣たちの体力を消耗させる狙いがありましたが、ついつい

「同情するなら金をくれ!」(古・・・・・・)

と叫ばずにはいられない心境になっても仕方がないと思います・・・と、思わずにはいられない心境になりました。

ちなみに、そんな諸大名たちは愚痴をこぼさなかったのか?
というと、実はとっておきのエピソードが残されております。
とある任地での普請が終わった後、即刻別の任地での普請を命じられた福島正則が幼い頃からの遊び仲間の加藤清正に、

福島正則:
「今回もまた手伝えって・・・・・・もう地元かえるわ・・・激凹む・・・」
加藤清正:
「そんなことしたら、殺されんで!いやなら国に帰って、戦の支度しときや」

と愚痴をこぼし、清正はそんな彼をなだめたそうです。

謎の関西弁はご愛嬌として、同僚同士、心温まるエピソードに思わず、是非とも、二人で“青春アミーゴ”を歌って欲しいと思いました。

>>近藤勇の奥義には、先駆者がいた!

ちなみに、この加藤清政さんの特技は、拳を口の中に入れることだったのですが、どこかで聞いたことのあるエピソードではないですか?そうです、かの新選組の局長・近藤勇!かれは、加藤清正に憧れていて、彼の特技を真似たそうです。

名古屋城へ出かけてみよう☆

名古屋城の石垣には、“刻紋”と呼ばれる諸大名やその家臣たちが普請の際につけた、縄張り(お仕事?)証明ともいえる印が刻まれており、その種類およそ500以上!刻印を辿り、当時の仕事っぷりに思いを馳せるのも、また一興です。

交通手段:地下鉄名城線 「市役所」 下車 7番出口より徒歩 5分、鶴舞線 「浅間町」 下車 1番出口より徒歩12分。車の場合は名古屋高速1号楠線 「黒川」 出口から南へ8分
、名古屋高速都心環状線 「丸の内」 出口から北へ5分

19:02 | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/09/24

“激アツ☆”のお城特集 part2 「名古屋城」 に迫る!!

先週に引き続いての今週のテーマは、今“激アツ☆”のお城特集。Part2は、戦国から時を経て、まさに徳川家康が「天下統一にチェックメイト!」する直前に建てられた名古屋城をクローズアップ

金のシャチホコがキラリ☆な名古屋城は、そもそもどうして建てられたのでしょう?今宵の歴史談話は、そんなクエスチョンから始まりました。

>>俺の力を見るべし!!
名古屋城築城の目的とは?

名古屋城の着工スタートは、関ヶ原の戦い(慶長5年/1600)からおよそ10年後のこと。実質的にトップに躍り出た勝者・家康でしたが、完全な天下統一には、まだ周囲がな~~んか、ごちゃごちゃ・・・そう、豊臣家&長らく秀吉子飼いの大名たちの残存勢力が依然くすぶり続ける火種のように存在していたのです。
「う~~む、いつ寝首をかかれるや分からぬッ・・・」
豊臣を上回る力があることを見せ付けるために、大坂城を上回るビッグキャッスルを拵えたというわけです。
「ど~だいベイビー(?)!俺のお城すごくない?」
ちょっと違うような気もしないでもないのですが、つまり、そういうことだったのです

<ちなみにスケール比較>
名古屋城天守:約36.1m
大坂城天守:約30m
姫路城天守:約31.5m
江戸城天守:約44.8m

さらに、ここ尾張は地政学的に東西を隔てる日本の中心部にあたり、豊臣の残存勢力が根強く残る関西圏(大坂)に睨みを利かせるための、絶好のポジションだった。軍事的な意味合いも大きかったというわけです。

>>屋根はもともとピカピカの10円玉色だった?

白亜のボディに青緑の屋根瓦・・・・・・現在の名古屋城は、そんな感じでなんとも優美なお姿。でも建てられた当時は、きらっきらと輝く10円玉色でした。つまり、材質にブロンズ(銅)が使われており、これが酸化して現在の色になったそうで。ちなみに、銅はもともと貨幣を作る材料なので、いうなれば「お金で屋根を作りました」ということ!? 思わず、一万円札風呂を想像してしまったのですが・・・いやあ、なんともバブリーな話です。

>>ここにもあった!徳川埋蔵金伝説

名古屋城には、本丸に連結された小天守と呼ばれる、いわば天守への入り口の機能を果たす建物があるのですが、ここにはかつて金蔵(金庫)があったそうです。そこには30万両の金(今の価値で300億円くらい)や、9000貫(33トン・3億円くらい)の銀があったそうな。明治維新後の調査では、中身はすっからかんの状態になっていたそうですが・・・果たして、埋蔵金はどこへ行方をくらましたのでしょうか・・・・・・?

>>次回は、ハンカチのご用意を!

2週に渡り、名古屋城を特集しますが、次週はお城の築城には強大な権力を手中にした家康にかしずく諸大名たちの、涙なしには語れないトホホ話・・・・・・もとい、苦労話が残されています。さあさ、皆様次週はハンカチのご用意をお忘れなく!!

名古屋城 へ出かけてみよう☆

昭和20年に空襲で消失した「名古屋城の本丸御殿」は、かつて狩野派の絵師による障壁画が飾られ、30以上もの部屋があったとか・・・。現在、障壁画とともに、復元が進められており、平成29年に完成予定。来年の開府400年に玄関の一部が公開されるそうです。

交通手段:地下鉄名城線 「市役所」 下車 7番出口より徒歩 5分、鶴舞線 「浅間町」 下車 1番出口より徒歩12分。車の場合は名古屋高速1号楠線 「黒川」 出口から南へ8分
、名古屋高速都心環状線 「丸の内」 出口から北へ5分

20:10 | コメント (0) | トラックバック (0)