2009/05/18
南禅寺三門に上がって「絶景かな!」
こんにちは、時代MAP編集部の有田です!
週末の大雨がうそのように、今日はとっても気持ちよく晴れましたね。なんだか一週間のいいスタートが切れそうです。
さて、あいにくの雨だった週末は、5月8日のJIDAIMAPMEETINGでご紹介した「石川五右衛門」ゆかりのスポットに行ってきました。
そう、「南禅寺」です!

石川五右衛門が「絶景かな、春の眺めは価(あたい)千金」と言った、南禅寺三門に上がりました。

五右衛門でなくても、思わず「絶景かな!」と言ってしまいそうになりました! 天気が悪かったので霧がかかっていたのですが、京都市内を見渡すことができて、とても気持ちよかったです☆ 雨に濡れた新緑もいつもより緑色が鮮やかに見えてきれいでしたよ!
みなさんもJIDAIMAPMEETINGを聞いて、放送中に登場した京都観光スポットへぜひ足を運んでみてはいかがですか?
【JIDAIMAPMEETINGおさらい】
侘び茶の大成者「千利休(せんのりきゅう)」をご紹介しました。
天下人となった秀吉は、千利休を茶頭(茶事を取り仕切る頭(かしら))として近くに置きます。そして、茶の湯の師匠としてだけではなく、政治上のパートナーとしても重用しました。利休は、茶器などの鑑定や売買を通じて、諸国の大名や承認との交流が盛んだったので、その人脈を秀吉が利用したと言われています。また、豊臣政権の要人たちを茶室に招き、利休を通して秀吉の考えを伝えたりしていました。
このように、秀吉の全幅の信頼を得ていた利休がなぜ切腹されたのか……。
茶頭の立場にも関わらず、茶器の目利きなどで報酬を得ていた事や、利休考案の竹でできた花入れを高値で売るなどしていたことが切腹の原因といわれています。また、直接の原因が「大徳寺の山門事件」。利休は私財をかけて改築した山門の上に、自身の木像を置きました。すると、「門の下を通る者の頭を踏むに同じ!!」ということで、降ろされた木像は一条戻り橋に貼り付けられます。そして、利休は生まれ故郷の堺に謹慎、さらに京都へ戻され切腹を命じられたのです……。ただ、それは門が完成してから2年も経っていたので、ほとんど言いがかりに近いものだったようです。
死後、秀吉は母や側近にあてて、利休を懐かしむ手紙を送っていました。堺に謹慎させたのも、利休の謝罪を待っていたのかもしれないですね。彼が生きていれば、秀吉の晩年も変わっていたでしょう……。
【JIDAIMAPMEETING予告】
なんと!! TIMのレッド吉田さんが登場!!! 青春時代を過ごされた京都の歴史を交えながら、おもしろトークをお届けしちゃいます。ぜひお聴き逃しなく!
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2009年05月18日 18:38
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