2007/11/29

「京の老舗めぐり」Vol.1 本田味噌本店              宮中から町衆に受け継がれた京の白味噌(2007/11/29更新)

めっきり寒くなり、早朝、暖かいお布団から離れがたい季節になりました。寝起きには、熱~い味噌汁が何よりの活力源ですよね!さて、今回から始まるブログの新コーナー「京の老舗めぐり」は、大好物は味噌汁!という(一応)京女・山脇がトップバッターでお送りします。第一回は、御所の程近くで暖簾を守り続けて約180年。“西京味噌”で全国に名を馳せる、本田味噌本店に取材してきました。


暖簾に染め抜かれた「丹」の字は、丹波出身の初代に因んだもの。江戸時代の商家の面影をそのまま残しています。

同店の創業は天保元年(1830)。現在、7代目が伝統の味噌作りを受け継いでいます。初代茂助は、日本各地で活躍する酒作りの技能者集団、丹波杜氏の流れを汲むとか!そんな茂助が、麹造りの腕を見込まれ、宮中の料理に使うための味噌を献上。禁中御用を専門とする「丹波屋」の屋号で店開きしました。


米の深い甘みがする西京味噌(写真左)。通常の味噌よりも塩分が少なく、繊細な醸造技術を要します。京料理やおばんざいの味付けにも欠かせません。

ところで八丁味噌、信州味噌、仙台味噌……。全国各地に特色ある名物味噌がありますが、同店が創業以来手がける西京味噌とは、どのような味噌かご存知ですか?そう、京のお正月の定番。関西の雑煮に使う白味噌のこと!白味噌の誕生は、なんと平安時代に遡るとか。上品な甘みと芳醇な香り、女性の柔肌を思わせるキメ細やかさ、白さ……。独特の風味は、通常の味噌に比べて使う米の量が圧倒的に多いため。当時、貴重だった米を贅沢に使うことが許された王朝、貴族文化のなかで育まれた歴史的背景がありました。
さて、京都では、この白味噌を通称で西京味噌と呼びますが、実はこの呼称は本田味噌本店の白味噌に始まるそう。同店では、東京遷都で天皇がお住まいを東京に移されて以来、白味噌を町衆に販売するように。“東の京”に対し、京都は“西の京”と呼ばれましたが、宮中にルーツを持つこの味噌に町衆は誇りを込めて、西京味噌と呼ぶようになったのだとか。ちなみにこの西京味噌、「当時は砂糖が高級だったため、実は汁物よりも甘味料として使われることも多かった」とは営業部長の尾崎さん。意外な歴史にびっくりデス!


店内では宮中御用を務めていたころの鑑札札や、携帯用天秤を展示。

味噌を一般に販売し始めてから1世紀半。愛され続ける秘訣を伺うと「京都は今も食文化の中心地。東京遷都以降、地元のお馴染みさんに贔屓にしてもらいましたが、皆さんやはり美味しいものを知っている。味に厳しい人々の舌に応えるために、努力し続けることができました」とのお答えが。
常連さんのなかには、専用の味噌入れを持つ人も多く、味噌がなくなったら空の味噌入れを持って、「いつものちょうだい!」と店を訪ねてこられるそう。祖父母の代からお孫さんにまで、代々引き継がれるその姿を見るたびに「美味しく、安全なものを提供し続けなければならない!」そんな使命感が湧き上がり、身が引き締まるのだとか。
――宮中から町衆の手に引き継がれてきた西京味噌。あたかも京の雅やかな文化を溶かしたかのような味わいは、厳しくも、暖かい京の人々との日々のふれあいが、支え続けているに違いない。そう感じた初冬のある一日でした。
  
時代MAP編集部山脇純子

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古くから味噌作りに「寒仕込みの土用越し」という言葉があるように、今は味噌が一番美味しいシーズン。店内には、赤味噌、白味噌、合わせ味噌など、多彩の味噌が並びます。どれもこれも色ツヤよくって本当においしそう!良い味噌の見分け方は、色ツヤ・香・味の3点。くすみがなく艶やかで、麹や米の香が新鮮なもの。あと一月もしないうちにお正月!同店では味噌を味見ができるので、皆さん是非とも、この機会に京の味を見つけにきては如何でしょう?

<DATA>
本田味噌本店
℡075-441-1131
営業時間10:00~18:00
日曜休
京都市上京区室町通一条558


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2007/11/22

大好評の地名紹介PART2!!~正面って一体全体どこの前?(2007/11/22更新)

以前ご紹介した「天使突抜通」に引き続きの、第2弾!
今回は、京都市内を東西に横断する「正面通」の名前の謎に迫ります!!


“正面”と言うからには、どこかの正面だったのだろう」と、調べてみると……
時代は安土桃山、文禄4年(1595)。豊臣政権の栄華を誇るシンボルとして、奈良の東大寺大仏殿をしのぐ、さらに豪華な大仏殿が、建立されました。その名も方広寺大仏殿。豊臣家の栄枯盛衰と共に歩んだ寺院として、知られています。残念ながら、大仏殿は江戸時代に焼失したまま、復興はされていません。現在は大仏殿跡緑地として残るだけです。
詳しくは『京都時代MAP 安土桃山編』をご覧ください。

その方広寺大仏殿の正面を通る道だったから「正面通」。
ガクッ。あっさり結論が…。以外と分かりやすい名付けでした;;

さて、時代MAP編集部では旬のニュースや語源、地名の由来をお届けするメールニュースを配信しております。
その名も「時代MAP®油小路上ル新聞」
みなさま、ぜひぜひご一読くださいませ。

時代MAP編集部 田村 尚子

19:51 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/11/15

京都タワーにビリケンさんがやってきた!!!          (2007/11/15更新)

そうなんです。やってきたのは、通天閣のシンボルにして、幸福の神様……あの「ビリケンさん」! 
でも、なぜ京都タワーに???
実は現在、故郷の大阪を離れて、列島各地にある7大タワー(※)の巡回ツアー中なのだとか(ご苦労様ですっ)。先日、山口県下関市の「海峡ゆめタワー」を経て、11月についに入洛! 早速、時代MAP編集部を代表して、ワタクシ、山脇がご挨拶に馳せ参じました。


↑京都タワーのマスコット「たわわちゃん」のお隣で、ニヒルに微笑む「ビリケンさん」

ビリケンさんの滞在場所は、京都タワー11階のスカイギャラリー。初対面を果たした私の第一印象は……「なんとも憎めない、愛くるしいおっちゃんやなぁ~(^^)」。
聞けば、「ビリケンさんの足の裏を掻きながらお祈りすると、願い事を叶えてくれる」のだそうです。そこで私も、「時代MAPのロングロングセラー!」をお祈りしながら、足の裏をポリポリ掻き掻きしてまいりました。

さて、折角なので、ほんの少しビリケンさんの歴史をひも解いてみましょう。
ビリケンさんは、1908年アメリカの女流アーティスト、E・I・ホースマンが、自身の夢で見たユニークな神様をモデルに作ったもの。トンガリ頭につりあがった目の愛嬌ある姿は、またたく間に「幸福のマスコット」として世界中で大流行。日本でも花柳界などで縁起物として親しまれてきたそうです。
誕生から1世紀経ってもなお、マスコットとして愛され続けているのですね。
さて話を再び現代へ。実は、現在のビリケンさんは2代目。初代は、新世界のルナパークという遊園地にあったらしいのですが、施設の閉鎖とともに悲しくも行方不明に……。それから数十年後「通天閣ふれあい広場」のオープンにあわせ、2代目ビリケンさんが復元されることに。大阪の某社のビリケン像をモデルに、彫刻されたというわけです。一体、初代はいずこへ?……時代MAP編集者としては、奥深い歴史のミステリーに興味津々です。

ビリケンさんとは11月25日(日)まで、11階スカイギャラリーにて対面できます(入場無料)。
皆様も機会があれば是非、訪ねてみてくださいね。幸せ~な気分になれますよ!

時代MAP編集部 山脇純子


↑タワー展望台にも行ってきました。
1200年の歴史が堆積したミヤコの姿を、地上約130mから激写!

※ 京都タワー(京都市)、さっぽろテレビ塔(札幌市)、五稜郭タワー(北海道函館市)、東京タワー(東京都港区)、空中庭園展望台(大阪市)、夢みなとタワー(鳥取県境港市)。

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